みちてる、みちてた。

ここにいるのにここがどこだかわからなくなるから、書き留めています。Twitter→(@yoshi_mi24)

母と私の間には、去年と異なる溝がある。


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【📍こちらはブログのトップ記事として固定しております】

 

 

 こんにちは。

 2020年12月19日より他媒体から「はてなブログ」へ移行してきた、芳−hana−といいます。

 

 主に日常の出来事やそのときに感じたこと、持病についてや本の感想などをこれまでアップしてきました。こちらでも同様に、日々の記録を書き留めていけたらと思っています。

 

*****

 

 「はてなブログ」へ移行するにあたっては、自分が前媒体で掲載してきた記事に改めて目を通してみました。その中でも気になったというか、心に引っかかった記事があるのです。それは、自己紹介文として載せていた下記のもの。

 

yoshi-mi.hatenablog.com

 

 これの何が引っかかったのかといえば、記事をアップした昨年2019年11月時点と2020年現在における感覚の“溝”というか、綺麗な話としてまとめようとしているところに違和感を覚えたのです。

 不登校精神疾患のくだりにではなく、タイトルにまで表記している母との関係性に対して……。

 

「私はもう大丈夫」

 

 母にそう言えるような人間になりたい。

しかしその一方で、常々抱えてきたのは、、、

 

──私は母より幸せになっていいの?

 

 という疑問。

 

 母としての面だけではなく妻としての面でも大変な道を歩んできた彼女だから、同情してしまう部分があるのです。自分のことは棚に上げて「可哀想なひと」という目で母をとらえている自分に気づいたとき、おのれの醜さを知りました。同時に家族へ他人に向けるような猜疑心を抱くことがある自分にも。そしてそれは今に始まった話ではなく、幼いころに芽生え始めたものだから、思っている以上に私の中で根深い問題になっていたんだな……と母と一緒にいる時間が増した今年になってわかったのです。

 

*****

 

 もう30過ぎた大人なんだし、「家族が」「親が」とこだわる必要はないのかもしれません。

 だけどお互いに傷つけあって支え合ってきた時間を共有しすぎたぶん、「借りがある」みたいな負い目でさらに複雑な気分になっていくのです。

 

 私がいなければ母はもう少しラクに生きられたのかもしれない。私が生まれてきたことが我が家の「負」にあたるのかもしれない。私がいなければ、私がいなければ、私がいなければ──。

 

 軽口をたたいてるだけであっても、深く傷ついてしまう。まるで他人に言われたかのように、血の通わない冷酷な言葉に聞こえる。そんな記憶はたどれば幼いころからあって、どこへ行けば心から安心できて大の字になり眠れる場所があるのか、これからもずっと探し続けるのかもしれません。

 

*****

 

 っていうか、おい。

 移行後にはじめてアップする文章がこんなに重くていいのかっ((((;゚Д゚))))⁉

 すみません。目にして憂鬱になった方々、すみません。

 

 でもブログを掲載する媒体を変えようと決めたのは、こういった根っこにある部分を吐き出したいと思ったからです。

 自分を客観的に見るのは難しいことですが、一度その場で作り上げた空気を崩さなければ書けないような気がしました。

 

 もちろん、毎回重い話題を綴っていくつもりはありません。花の写真を撮るのが好き♡という可愛らしい趣味だってあるんですよ₍₍ ◝( ゚∀ ゚ )◟ ⁾⁾テヘッ

 

 さあて、今年も残すところ約2週間!

 来年に残したくないものは、ビリビリ破って捨てていこう。

 

#dawn813

 

 こんばんは。

 最後にブログを更新したのは、8/28。

 なんやかんやてんやわんやあっての、8/28。

 

 メンタルが崩壊していたのは、6〜7月にも記している。

 

yoshi-mi.hatenablog.com

yoshi-mi.hatenablog.com

 

 福祉作業所での昼休憩が苦痛だといった内容なのだけれど、実はそれだけではなくいろいろあった。

 その「いろいろ」を書けるなら書きたいところではありますが、通っている作業所や他人のプライバシーに関する問題もあり記せません。

 

 ただただ、寂しさでどうにかなりそうだった。いや、実際どうにかなっていた。毎日涙が止まらない。「寂しい」と口にしては、ボロボロ泣き出すオンナに周りには大きな困惑を与えたと思う。申し訳なかった。。。

 

 しかしこうやって感情を爆発させたおかげなのか、徐々に冷静さを取り戻せている現在。

 今週の心療内科受診では、地域生活支援センターの担当者さんが診察に同席してくださりました。本日も話を聞いてもらったし、私からも担当者さんに訊いてみたかった質問をしたり。

 作業所も当分は午前中のみの通所に変更した。通い始めたころのようなペースに戻ってしまったこと、今は悲観しないようにしたい。

 

✽✽✽✽✽

 

 9月14日(水)の朝方。

 作業所へ向かう支度をしながらスマホで聴いていたのは、ナビゲーターが燃え殻さんのラジオ番組「BEFORE DAWN」。(本来は火曜日の26時が番組の放送時間)

 

www.j-wave.co.jp

 

 番組前半では燃え殻さんのエッセイ『すべて忘れてしまうから』がドラマ化するにあたり、その監督・脚本をなされた岨手由貴子さんとの対談が繰り広げられていた。

 ディズニープラス配信であるため契約しないと観れない悔しさを募らせながら、対談後に始まったリスナーからのメールコーナーに耳を傾けていた。

 

 燃え殻さんへの質問が続くなか、最後に読まれたメールはTwitterでつぶやくような内容の独り言だった。「寂しいです。ひたすら寂しいです」と送信主は訴えている。

 確かラジオネームは「ハナさん」と燃え殻さんが紹介していた。

 

 あっ──。

 

 気づいたときには、鼓動が激しくなっていた。あわわわわわわわっ!とヨッシーみたいな鳴き声を出しそうな勢いで立ち上がったり座ったりを繰り返し、「このハナさんって、私だ!」と叫びたい気持ちを抑えるほど身体が熱をおびていった。

 

 びっくりした。

 読まれる可能性はゼロに近いと思い、送信したメールだったから。

 私の記憶が確かならば、送信したのは8/27だった。まさに寂しさMAXだった時期である。

 こんな独り言を送ったところで、弾かれるとしか思えなかった。それなのに送ったのは寂しさMAXで気持ちのやりようが見つからなかったのと、昼休憩のツライ時間帯に「夜のまたたび」だけではなく「BEFORE DAWN」も聴いて心を落ち着かせていたからだった。

 

 昨日改めてラジオを聴き返した。

 燃え殻さんが助言してくれた言葉を手帳に書きとめ、何度も読み返した。

 

 自分は愛されるような人間ではないと幼い頃から考えてきたことに対し、「自分で決めなくていいかもしれないです」「最初に自分を許してあげるのは、自分だと思う」と言ってくださった。

 文字に書き起こしたら手帳の1ページが埋まった助言。

 

 もしもこのメールが先週や先々週に読まれていたら、私はこんなにありがたい助言さえ受け止められなかったんじゃないかな。

 送っておきながら何を言うんだって思われるだろうけれど、ホントに人の言葉が頭の上を滑っていくほど冷静さが欠けていたから。

 

 何度も「過去は過去の出来事」と主治医に言われるたび「はい」と返事はするものの、「そりゃあ、そうなんだけど。分かってはいるんだけど、そう簡単に割り切れるもんじゃないから苦しいんです」みたいに胸の内でいつもねちねち嘆いていたのに、今週に入ってから明らかに心境の変化を感じ取っていた。

 

 だから今週の診察でも同じように「過去は過去」と主治医から言われた言葉を素直に「そうだな」と受け入れている自分がいたり、燃え殻さんの言う「自分を許す」も「そうなんですね」とスッと心の奥に取り入れられた。

 

 すごいタイミング。

 ありがたいタイミング。

 なんなんだろう。そういう、ベストタイミンに時折巡り合う。振り返ればすべてがベストタイミングで、あの道この道へ導かれていたのかもしれないって感じるときもあるにはあるよ。

 だけど、それをリアルタイムで受け止められるのは稀な気がする。

 

 嬉しかったです。

 心から嬉しかった。

 メール、拾ってくれてありがとうございました。読んでくださりありがとうございました。

 また気持ちが落ちる時期がやって来ても、這い上がりたい。来週もまた次の週も、ラジオを落ち着いた心で聴きたいから。


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もういいよ。

 

 秋の虫の音が響く夜。

 いかがおすごしですか?

 

 5〜6月くらいからメンタルが崩れ……最近、ホントここ1週間くらいの話。本音が涙と共に口から出てくるようになった私は、診断されている「うつ病ADHD」よりも根本的に悩まされているのは「アダルトチルドレン」や「愛着障害」、「発達性トラウマ障害」といった類のものなのではないかと実感している。

 

 これで福祉作業所へ行けなくなったらまた同じことの繰り返しだと思い、地域生活支援センターの担当者さんに、今は頼りに頼っている状態だ。

 こんなに人に頼るのもはじめてで、信頼を抱くのもはじめてかもしれない。

 

 これを打っている今も苦しい。っていうか、寂しい。たまらなく寂しい。ずっとずっとそうだった。心細かった。

 もう、それを誰に打ち明けたって構わないよ。私が号泣してるの、8月中に作業所の職員さんには見られまくったから。笑

 もういいよ。

 文字だけじゃなくて、本音を口にも出していくよ。

 

 

 

 

伝えてみよう。

 

 今週月曜日の出来事。

 

 

 予兆があったのか、この日の朝方には「水曜日お休みさせてほしい」と職員さんに伝えていた。

 今日が休みでよかった。脳は相変わらずザワザワ忙しなく働いているため、疲れはとれないでいる。心はちょっと平穏を取り戻せたかな。

 

 近頃、浮き沈みが激しい。

 それで実は、念願のグループホーム申込みを今回は先送りすることになった。

 

 代わりにといったらおかしいけれど、心療内科のカウンセラーさんに話していた内容や精神疾患の書籍(愛着障害や発達性トラウマ障害など)を読み「この感覚は自分に似てる」と感じた箇所をメモしていたノートを地活の担当支援員さんに見ていただき、話も聞いていただいた。

 

 そしたら次の受診の際、支援員さんも診察室に同席してくれるという展開になり、なんだかもう……どうしてこんなに現在恵まれた環境にいるのに、涙が止まらなくなったり過緊張になったりしてしまうんだろうと悲しくなる。

 

 外へ出なければ心は平穏かもしれない。だけど、社会との接点を失うのは恐ろしい。人と話すのが嫌いなわけじゃない。言葉に詰まったりするから苦手なだけで、本来は好きなんだと思う。もっと人と触れ合いたいと思うのに、急に自分の存在を「恥」に感じる埋もれていたもうひとりの自分がひょっこり顔を出すから厄介なのだ。

 

 もう赤裸々に話してしまおう。

 親のメンツとか抜きに、主治医や支援員さんには話してしまおう。

 いつか福祉作業所の職員さんには、手を握ってもいいですか?ってお願いしてみよう。「寂しい」って伝えてみよう。

 

 私は今、周りにいるひとたちが好きだから。

 伝えてみよう。

 

 

続・大規模断捨離への道〜後編〜

 

 またしても時が流れてしまった。

 大規模断捨離の再開を前回記したのは、7月19日。しかもタイトルに「前編」とか余計な文句を入れたがために、今回は「後編」と記すに至ったが、当然「最終回」にはほど遠い進捗状況である。

 

✽✽✽✽✽

 

 まずひとつクリアした点。

 それは前回にも記した、食器類の処分だ。

 CMでも流れている業者に依頼し、先月の最終週に買取をしていただいた。

 「当社では食器以外にもこういったものも取り扱っておりますで、わたくしが食器の査定をしている間に他にも買い取り希望のものがおうちにありましたら査定致しますよ」

 の一言に、母と私は動いた。

 

 確かあそこにあれがこれが、と買取してもらえそうな品を宝探しのごとく探し始めたのである。

 結局私が思いつくものはテレフォンカードしかなかったが、母が取り出してきたのはなんとアクセサリー類だった。

 反射的に「えっ!」と心の内で驚いてしまったのは、我が家にそんなお宝あったの!?という意ではなく、「いやいや母さん、それは大事なものやんか!」の意だった。

 

 「ずっとどうやって処分しようか悩んでて……」

 

 そう言いながら取り出してきた母だったが、目には涙を浮かべていた。

 

 母にとって大事な存在、もう10年以上前に亡くなったお姉さん(私からすれば伯母さんにあたる)が母にプレゼントしたもの。アクセサリーを身につける習慣のない母は、常に巾着袋に入れて保管していた。

 確かに処分に困る代物ではある。しかしこの場の雰囲気のノリに押されるかのごとく買取依頼いしちゃっていいのかしら……と不安になったが、母の気持ちはわからなくもない。

 いろいろ取り出しては来たが「これだけは売りたくない」という指輪だけを残し、それ以外は業者へ買取をお願いした。

 

 「こうやって処分していかなきゃいけないのよね」

 

 ぼそっとつぶやく母。

 そうなのだ。こうやって処分していかなければいけないのだ、いずれはどうしたって。

 

 結果、食器類に関しては数千円の価値しかつかなかったが、母のアクセサリーが「0」の数を増やしてくれたのであった。

 

✽✽✽✽✽

 

 で、今頃思い出したのだけど、前回の記事はタンスの中を確認している最中で手が止まってしまった……という意味深な一文を残してピリオドを打っている。その続きから記すべきだろ、との突っ込みを入れるほど読んでくれている人がいらっしゃるのか謎だが話を続ける。

 

 なぜ手が止まってしまったのか。

 理由は着物だった。

 

 何着か出てきた着物は、母・父方の祖母・母方の祖母のもの。

 中には母が成人式の際に着たという着物があり、私が二十歳の記念に写真を撮るときに「着ない?」と言ってくれたらしいのだが、当時の私は何を考えていたのかまだ現役の反抗期だったのか、「着たくない」と答えたらしい。

 お、覚えていない。こういう都合の悪い記憶を人間は忘却していくのだ、きっと。

 

 今眺めれば、品のある素晴らしい柄の着物だと感じる。

 しかし当時の私には、その良さがわからなかったのだろう。

 何かを変えたかった。自分の印象、イメージ。そういったものを一蹴させるような。だから、着るなら「赤い着物」がいいと思っていた。そして実際、赤い着物をレンタルして成人式には出ず記念写真だけを撮った。

 

 あのとき母になんてひどいことを言ってしまったのだろう、と着物を広げながら罪悪感を覚えた。「着ない」ではなく「着たくない」と意思を込めた言い方も憎たらしい。

 

 ただし、母の某エピソードを聞いたとき、やはり私たちは親子なんだなと笑ってしまった。

 

 田舎から嫁ぐために上京してきた母は、決意を込めて結婚披露宴で「赤いドレス」を着たのだそうだ。結婚したからには離婚はしない。どんなことがあってもめげない。そういう意味を込めた「赤」だったという。

 

 同じだ。私も母と同じ意志を「赤」に込めたかった。

 実際に母はその意志を貫いたけれど、娘は強くなれなかった。そこにまた不甲斐なさが生じてくる。未だに迷路を彷徨い生きているのだ。

 

 それにしても、「赤」は己の情熱を投影させたくなる色なのかもしれない。何かと勝負時には、赤いものを身につけていると心強い気がするから不思議だ。

 ちなみに母も昔は私のようにおとなしい性格だったらしい。

 

 いろいろ考え、母が成人式に着た着物をもう二十歳から16年経過してしまった娘の私も着てみようと画策している。

 他の着物はある場所に寄贈するつもりだが、機会があればまた着物を着てみたいと思っていたし、母から受け継いだものを着て私も記念に残したい。

 記念に残せば、またものは増える。

 処分しなければならないのだ、いずれは。

 それでも、母の着物を着て写真を撮りたい。

 着付けや化粧はどうするか、どこで撮ってもらおうか。

 今のところ、単なる思いつきで何も決まっていない。

 着物姿で外をちょっとぶらぶらするのもいいよねえ、と空想ばかりが広がり片づけはほんのちょっとずつしか進まない我が家なのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続・大規模断捨離への道〜前編〜

 

 いつのことだっただろう。我が家で大規模断捨離を実施しているとこのブログに記したのは。

 あのときは、父親が残していた仕事関係の書類(私が生まれる前のものまであった)をひたすら素手&ハサミで裁断していく作業で一旦終了とした。

 

 

yoshi-mi.hatenablog.com

⬆確認したら、昨年の秋だった。今年のはじめくらいまでやっていたような気がしたのに、記憶力がいい加減だった😥

 

 書類だけでも十分大量なゴミを処分したのだが、なんということでしょう。まったく部屋の中が片づいて見えないのです。笑

 

*****

 

 しかしこの度、再び我が家に大規模断捨離への追い風が吹いたのである。

 

 現在グループホームへの入居を考えている私の元へ、「入居者募集」を案内する知らせが先日届いた。空きが出るのは一室。正直、入居を希望する人は多いと思う。だから申し込みをしたからと言って、確実に入れるわけではない。

 

 ちなみにグループホームには「通過型」「滞在型」のふたつがある。

 読んで字のごとくだが、「通過型」は2~3年で退去しなければならず、「滞在型」はそこでトラブルを起こし退去させられるか、自ら出ていきたいと思わない限りここで生活してOKといった感じだ。ざっくり言うと。

 

 私が入居希望しているのは「通過型」(っていうかそもそも地元にはそこしかアパート型のグループホームがないのよ涙)なので、必ずどの時期かで空きが出る。今回申し込まなくとも、来年再び入居申し込みの機会は巡ってくるであろう。

 

 支援者さんも、「このタイミングでいいのか」という言葉を何度か助言として口にしてくださった。

 

 迷う。実に迷うが、申し込みから入居決定までのスケジュールを眺め閃いたことがひとつ。

 

 我が家の断捨離を再開しよう!

 

 気になって気になって仕方のない狭い我が家にある無駄にでかい家具や物が多い問題を、自分がグループホームに入居する前にはなんとか処理したいと考えていた。考えてはいても、ひとりで判断しポイポイしていくわけにはいかない問題も立ちはだかっていたのが現実だった。

 

 が、「入居者募集」案内のチラシを見て、本格的な断捨離はいつやるの? 今でしょ! と思い立った私は、早速母とあれこれ相談し、まず即行で決まったのは未使用でセット品として長年保管されていた食器類を買い取ってもらうことだった。具体的な日にちも決まった。こんなにスムーズに進む話を、なぜ長年放置していたかの方が謎なくらい即行で決まった。

 

 それだけでも、いくらか身が軽くなった気分だ。

 あとは、大きな家具問題。これは、支援者の方とも相談して処分してもらえる業者を探そうと思う。

 

 ポイポイ捨てられるものは、迷わず捨てていく。寄付したり他にも買い取ってもらえるものもあるかもしれない。

 

 しかし先週の金曜日、我が家の一番狭い部屋に鎮座するタンスの中を確認している最中、思わず手が止まってしまった……。

 

*****

 

 ここから先は、話が長くなりそうだ。

 後編へつづく。

 

 

すがる思いでラジオを再生させた。

 

 自分でも予想外のメンタル具合に、戸惑っている。

 

 戸惑っている内容としては、前々回に記した「昼休み問題」が端を発しているのだろう。

 

yoshi-mi.hatenablog.com

 

 

 それがどんどん膨らみ、ついに今日は部屋の中にいられなくなった。

 休み時間ロビーにあるソファで横になっていた。行きがけに購入したおにぎりも食べる気にはならず、どうにか落ち着きたくてすがる思いでイヤホンを耳に挿し、ラジオを再生させた。

 

 今年に入ってから聴かなくなっていた、燃え殻さんと二村ヒトシさんによる「夜のまたたび」という番組。

 

audee.jp

 

 先週か先々週から再び聴き始めたのは、なんとなく肥大し始めていた鬱っぽさを感知していたかもしれない。

 

 横になりラジオを聴いていると、次第に心は落ち着いていった。そのままうとうとしてしまいそうなほど。

 このまま、このまま、この落ち着きを保って……と休憩時間が終わる5分前に作業部屋へ戻った。

 

 作業が始まるとやはり泣きたくなる。

 嫌々やっている作業ではないのに。

 孤独が襲ってくる。漠然とした不安が襲ってくる。部屋に人の数が増えるほど、笑い声がこだまするほど。何故か自分は周りと同じ波に乗ってはいけない気がしてくるのだ。

 学生時代に似ている。私には同じように笑う権利があるのだろうか、私には同じように楽しむ権利があるのだろうか。そんな風に捉えてしまう。誰にそう指摘されたわけでもないのに。自意識過剰なのだ、何事も。

 

 いかん。

 どうした、この急転直下。

 北大路公子さんの『いやよいやよも旅のうち』を読んで爆笑していた昨日までの時間が嘘のよう。

 

 

 

 この場所で挫折したら、もう行き場がない。挫折していなくとも、普段から頭の隅に「消えたい」があるというのに。

 

 「死にたいは、遠くに行きたい」ということ。

 家族がいたからじっくり観れなかったけれど、BSで燃え殻さん原作の朗読劇『湯布院奇行』が放送されていたのを観て、記憶に残っている台詞。

 だとしたら、遠くに行ったら少しは何か、少しは何かが……。

 

www.yufuinkikou.com

 

 あんなに楽しく通所していたのに。

 どうしてしまったんだろう。。。

 

ちょっとした冒険を。

 

 梅雨が来たと思ったのも束の間、猛ダッシュで過ぎ去っていった。

 本日梅雨明けですって。(関東)

 晴れの日の方が好きだしメンタルも落ち着くけれど、そんなに猛ダッシュで去られるとは予想外で、置いてけぼりをくらったようにポカンとしてしまった昼休み。

 

*****

 

 話は変わり、「ひとり暮らしってどんな感じだろう」と障害者が利用できる自立支援制度(宿泊体験事業)があることを5月の終わりのブログに記しました。

 

yoshi-mi.hatenablog.com

 

 

 で、実際に宿泊体験をしてきたんです、先週。

 申し込んだのはたったの一泊二日だったけれど、日にちが近づくにつれ心臓バクバクだった。だって……あ、私今から子どもみたいなこと言いますよ。

 

 お化けが怖くて夜寝れなかったらどうしよう。

 

 もう、この一点の不安しかなかった。笑

 食事なりなんなりはどうにかなる。実際にどうにかなった。日中は趣味に没頭し、解放感あふれる時間を過ごせた。

 

 問題は夜だ。

 お恥ずかしい話、私は現在母親と同じ部屋で寝ている。間取り上そうせざるをえず、パーソナル空間が皆無な日々を過ごしているのである。

 エロイ寝言を聞かれた日にはどうしよう、と常々余計な心配を欠かせない。

 すっかりふたりで寝起きするスタイルが定着してしまってから約10年。急にひとりで夜を越えられるのか、それから風呂場で目を瞑り髪を洗えるのか。

 周りは私が宿泊体験をする上で、どんな心配をしてくれていたのだろう。支援してくれている方に、「一番の不安要素はお化けです」とは流石にカミングアウトできなかった。

 

 しかしながらお陰様で、昼も夜も翌日の朝もまったく怖いとは感じなかった。

 なかなか眠れなかったため(ベッドが合わなかったせいか、目覚めと同時に腰の痛みに襲われた)、燃え殻さんと二村ヒトシさんによるラジオ「夜のまたたび」を久々に聴き、お二人の声に安堵を覚えたほどだった。

 

 けど、「夜が不安」とか言いながら宿泊前日にはYou Tubeで「ダラシメン ホラーチャンネル」をがっつり観ていた自分。

 それでも怖くなかったんだから、結果がよければすべてよし!

 

 今回は一泊二日だったためあっという間に体験は終了したけれど、また利用させてもらう際は期間を長くしたい。

 正直に言えば今回は、ちょっと家から離れたいという気分転換を兼ねた理由で利用させてもらった。

 ある程度長く宿泊しなければ、「ひとり暮らし体験」が出来たとは言えない。

 

 時期をはかって、再びチャレンジしたいと考えています。

 

*****

 

 頭の片隅にいつもある。

 消えたい、とか。

 ふと空白の時間が生まれると、そういった言葉で占領されていく。

 

 でもまだ、消えるわけにはいかない。

 心から消えたいなら、とっくに消えているはずなのだ。ココにいるってことは、コレを書いているってことは、生きることにすがりついていたいからに他ならない。

 大人になってから出会う人出会う人に、恵まれてきた。まだ出会いたい人も、話してたい施設の職員さんや利用者さんがいる。

 

 だから、生ききることにすがりついていたい。