“コミュニケーション能力”なる言葉を耳にするたび、頬がひきつります。
学歴や資格だけで他人を評価するなんて、もはや過去のお話ですもんね。
- 他者との意思疎通をはかれる力
- 場の空気を読める力
- そんでもってここぞというときにはバシッと自己主張ができちゃう力
企業、飲み会、PTA……etc.
これぞ、世の中が求めるコミュニケーション能力だ!
あっ、ああ、耳が痛いです。
「暗い」
「なにを考えてるのか分からない」
「場に馴染めていない」
等々を陰から、ときに堂々と正面から指摘されてきた自分には、耳がちぎれそうに痛い能力に他なりません。
元来人見知りの激しい私は、普段から「どうかみなさま私に話しかけないでください」オーラを放出しながら街を歩いています。おのれのつま先を見つめながら歩いています。はやく透明人間になりたい! と心で願いながら歩いています。
だって、そつなく対応できる自信が1ミリもないんだもの。
しかしなぜなのでしょう……。
オーラを大放出しているときに限って、道を尋ねられたりするんですよね。
数えきれないほどの人間が闊歩しているこの地球で、影が薄い存在であろうはずの私をわざわざ見つけだしてくる人々がいる不思議。
話しかけられてもあわあわするだけだった自分を思い出し、眠る前に強烈な自己嫌悪に襲われます。
宗教の勧誘、酔っぱらいのサラリーマン、手相を見たいと申し出てくる人。そういった類の人々に関しては、「すみません」の一言で立ち去れます。
で す が 、、、
どう見たって空いているテーブルが多い食堂で「ここいいかしら?」と真向かいの席におばちゃんから相席を希望されたときなんかは、どう答えるのが正解なのかさっぱり分からない。
しかもおばちゃん、めっちゃ笑いかけてくる。福の神みたいにニコニコ笑いかけてくる。だからこちらも笑い返すしかない。
もしかして本物の福の神だったのかな(笑)
*****
あるときは通勤時の満員電車内で、突然肩を叩かれたことがありました。
何事!?
びっくりして顔だけ振り向いてみると、叩いてきた相手は50代くらいの女性。
しきりに私にアイコンタクトを送ってくるんです。「ほら、見て! 見て!」てな感じで。
あまりの目力に、ひょっとしたら緊急事態を知らせているのかもしれないと思い、彼女が「見て!」と示す先に目を向けてみるとそこには……ギュウギュウの車内でコンパクトを片手に、熱心にアイシャドウを塗っている若い女性が。
よ~く眺めてみたけれど、特にその周辺で緊急事態が起きている様子はなさそう。
なので、再びアイコンタクトを送ってきた女性へと私は視線を戻してみました。
すると「こんな満員電車の中でよく化粧ができるわよねえ」とでも言いたげに、下唇を突き出しながら肩をすくめるしぐさを披露してくるではありませんか。
ひ、ひどく困惑しました。
同様に私も肩をすくめればよかったのか、「欧米かっ!」と突っ込めばよかったのか。
いや、それよりなにより「え? それだけなの?」と肩すかしをくらったような気持ちが強くて。
わざわざ振り向かせてまでして、私にそれを伝えたかったの?
な、なぜゆえ私に……?
ねえ、おばちゃん、私を選んだ理由を教えておくれ。隣の人でも隣の隣の人でもなくて、私を選んだ理由はなんだったのさ!
ぐるぐると疑問が渦を巻くうちに、私は電車を降りていました。
改札へと向かう中、「人は波長が合う人を引き寄せる傾向」があるとかないとか、占い師っぽい人がテレビで言っていたのを思い出しながら。
ああ、そもそも私が引き寄せているのかもしれない……と妙に納得した20代後半の朝でした。
*****
またあるときは、バス停でバスを待っていたら背後から忍び寄ってくる何者かの気配を感じたんです。
「ちょっとお話聞いてくださる?」
そう話しかけてきたのは、60代くらいの小柄な白髪の女性。
き、きたな、と身構える私に向かって女性は一方的に話し始めるではありませんか。
「わたしね、水と宇宙が同じだってことに気づいたんですよ」
いやいやいや、ここここここ、こわいっ。
水? 宇宙? そんな、予想だにしていなかったワードを炸裂されてもっ。
てか、話が進んでいくよ。水と宇宙の共通点がおばさんの口から列挙されていくよ。
もうこの後は怪しい展開しか想像できない。謎のスピリチュアル世界に誘導されて、高額なパワーストーンとか売りつけられるに決まってる!
曖昧に受け流していた私は、あのときどんな表情を浮かべていたんだろう。
とにかく「はやくバスよ来い!」と心の中で念じ続けていたんです。
幸い数分後にはバスが到着したため、スピリチュアルおばさんから解放される安堵を胸に私は乗車口へ駆け寄りました。
「このバスに乗るので」と彼女に軽い会釈を向け、ICカードをタッチさせたとき……
「お話聞いてくださってありがとうね。私、毎日ひとりで寂しいから、いつも話し相手を探してるの」
スピリチュアルおばさんはそう言い残して、バス停を離れ去って行ったんです。
乗り込んだバスの中、私の心はザワついていました。複雑な感情が入り交じり、不意に涙がこみ上げてきました。
毎日ひとりで寂しいから──。
リフレインする彼女の言葉。
ずっと不機嫌な顔を浮かべていなかったかな、私。なのに、ありがとうって言われちゃった。私なんかに感謝しちゃダメだよ。そんな言葉使うのもったいないよ。
ごめんなさい、まともな相づちも打てなくて。ごめんなさい、笑いかけられないほど心が狭くて……。
気づけばそんな後悔で胸がいっぱいになっていました。
「いつ人生を終わらせよう」とばかり考えていた2年前の昼下がりでした。
*****
そしてつい先日。
スーパーのレジに並んでいたとき、前に立っていた70歳前後の女性から不意に話しかけられました。
「この店、売場の配置が分かりにくいから歩き回るだけで疲れちゃうのよね」と。
わ、わ、わ、わ、私、今話しかけられてるわ!
そう認識すると強い緊張で全身がこわばってしまうんですが、ふと女性の買い物カゴが目に入るなり、「ここはちょっと分かりにくいですよね~」と自然に相づちを打っている自分がいました。
確かにこの日訪れたスーパーは、横ではなく縦に長い構造上、いちいちカゴを持ったままエスカレーターで移動しなければならないのが面倒だったんです。だから女性の意見に同意する気持ちも大きかったんですが、、、、
毎日ひとりで寂しいから──。
私の耳元ではスピリチュアルおばさんの声がこだましていました。
お弁当、猫のエサ、仏壇用の花。
前に立つ女性の買い物カゴにおさめられているのは、その三品。
毎日ひとりで寂しいから──。
「なかなか花って長持ちしないのよねぇ」
苦笑いを浮かべて仏壇用の花を指さす女性。
毎日ひとりで寂しいから──。
「分かります。寒暖差も影響するんですかね」
特に夏は、気の毒なくらい仏壇の花が暑さにうなだれていたのを思い出していた私。
毎日ひとりで、毎日ひとりで、毎日ひとりで──。
列が進むなり女性との会話は絶たれました。
向き合っていたのは、1分くらいだったのかな。
でも、たった1分たった60秒の繋がりが日記に書き留めたくなるほど、今の私には貴重な繋がりだったんです。
*****
かれこれ2年半が経ってしまいました。
父がこの世を去ってからというもの、「生」と「死」とか「今日」と「明日」とか、あらゆる境界線が曖昧に感じられて「虚無」の世界に閉じこもってきましたが、近頃激しく痛感しています。
毎日ひとりは寂しい、と。
正確に言えば、ひとりの時間が長すぎるのは寂しい、と。
ていうか、認めるのが怖かっただけでずっと寂しかったんです。
暗くて、なにを考えてるのか分からなくて、場に馴染めていない私っておかしいのかな……と不安を抱いたその日から、ずーっとずっと。
外界を恐れる私が唯一安らげるのは、今も我が家だけ。いつもいて当たり前だった家族がひとり欠けてしまった現実の寂しさは、想像をはるかに越えるものでした。越えすぎると、「寂しい」感覚さえ見失うんですね。
お父さんっ子だったわけでもないのに……。
*****
私に話しかけてくれる人々、私を見つけだしてくれる人々。
どんな背景があって、彼ら彼女らの目に私の姿が止まるんだろう。
もちろん、そそのかしたり騙したりを目的に近づいてくる人間もいることを忘れてはいけませんね。
だけどもしも、些細な愚痴を聞いてほしい、感情を共有してほしい、今この瞬間が寂しくてたまらない……こうした理由が背景にあるのだとしたら、耳を傾ける余裕を少しは持っていたいな。
それから「ありがとう」を言えたらいい。
相手は誰でも良かったんだと後から告げられようと、その「誰か」の中に含まれているってことは……輪郭をもって確かに存在しているんですよね、私は。紛れもなく現在を生きているんですよね。
時々忘れそうになるから、話しかけてもらえたときは指先まで瞬時に熱がいきわたります。まるで、休んでいた心臓がフル稼働し始めたみたいに。緊張感にばかり気をとられがちだけど、熱の根源は嬉しさに満たされた「感動」なんじゃないかって思うんです。
「はやく透明人間になりたい!」なんて願っていないくせに、本当は。見つけてもらいたいし、見つけたいんじゃん、本当は。
私を見つけだしてくれる人々のように、いつか私も「あなた」を見つけだして声をかける日がくるかもしれません。
輪郭をもち紛れもなく現在を生きている「あなた」を。