みちてる、みちてた。

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『すべて忘れて生きていく』/北大路公子(2020.10.5)

 人はそれぞれ日常にささやかな楽しみを持って生きている。 

 何を隠そう私にとってそのひとつが、北大路公子さんのTwitterで先生と暮らしておられる白猫の「猫姐さん」をチェックすることだ。

 猫好きだからというのももちろんあるが、それ以上に惹かれるのが「猫姐さん」の言動である。愛くるしいったらない。だから見て。あなたもチェックして!

 

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すべて忘れて生きていく (PHP文芸文庫)

すべて忘れて生きていく (PHP文芸文庫)

 

 

 北大路公子さんの『すべて忘れて生きていく』は、第一~四章で構成されており、エッセイに書評に掌編小説までもが収録された一冊である。

 章ごとに、特に惹かれた箇所をこちらに記させていただきたい。

 

◆目次◆

 

第一章 私は頑張らなくていい

 子供のころに「早くしなさい」等々の注意を母親から受けてきた、というエピソードが綴られているエッセイ『靴下なんて履かなくても』で始まる第一章。

 

 まるで自分の幼少期(現在も変わらないが……)の出来事が書いてあるかのように思えた。なにも「遅くしよう」と意図的に行動しているわけではないんですよね。

 

 状況を打破しようと頭をフル回転させて考え悩んでいるときに、「ぼんやりしてないで!」と注意されたいつかの記憶に私はまだウジウジしていたりする。

 

 そして幼少期の北大路さんが仲良くしていた「ちゃんとした子」を代表するIちゃん的存在と比べられた日には、悔しさと妬ましさとコンプレックスが入り交じっていじけていた。

 

 だけど本当は知っていたし、間近で見てもいたのだ。Iちゃん的存在の子が「ちゃんとしてる」と言われるだけの努力や自分なりの目標を立てて行動していた姿を。だから余計に、自分が惨めに思えていたのだということも。

 私の場合、この事実を素直に受け止められるようになったのはごく最近なのだが。

 

 今日やるべきことをリスト化するだけで頭から煙が出てしまいそうな私と違って、私にとってのIちゃん的存在だった「Aちゃん(仮)」は明日も明後日も一年後も“やるべきことリスト”でスケジュールが詰まっているのではないだろうか。

 

 北大路さんが「ゆっくり行こう」のフレーズから感じ取ったものを、近頃よく耳にする「逃げてもいい」のフレーズに私は同じような感覚を抱く。

 

 スケジュール帳に書き込んだものすべてをクリアしていかなければ……が「Aちゃん(仮)」にとっていつしか目標ではなく義務や使命になってやいまいか。心配だ。そんなとき、「Aちゃん(仮)」の耳に「逃げてもいい」のメッセージがポジティブな意味で届けばいいなと勝手に願っている。お節介にも願っている。

 

 もちろん他人の心配をしている場合ではない。

 「Aちゃん(仮)」からすれば、「行き当たりばったりな性格のハナちゃんって子がいたな。あの子きっと、大人になれてないだろうな」と気の毒な人物として認識されていることだろう。

 

 『未知の風景を目の前にして』には、こう記されていた。

 

 だから、人生を「縦」に捉えている人がいると知った時は、いささか驚いた。階段を一段一段のぼっていくような、たとえば「×歳までにしておくべきこと」や「×歳までに××な自分になる」といった考え方をするひとたちである。

(中略)

 私の場合、景色はいつも「横」を通り過ぎていく。大きな河を、自分の意志とは別の力で運ばれていくからだ。(P53より引用)

 

 北大路先生の場合と私の場合を一緒くたにするのはおこがましい限りだが、夢や将来の姿をまるで描けなかった私も「横」型の生き方をしてきた。それを望んでいた望んではいなかったの話ではなく、「縦」という概念がなかったのだ。

 

 毎日頭の中は「今日をどう乗り切るか」の不安と緊張で占められている。無事に乗り切れた日は、クロールの息継ぎがうまくいった! ときの感覚に似ている。翌日になれば再び心細さを伴って水面に足をつける。あーだこーだ言いつつも、流れゆく中で見える景色を〈そう悪くない〉と私も思っているのだった。

  

第二章 相撲好きにもホドがある

 「相撲愛!」がほとばしるエッセイがおさめられた第二章。

 

 父がいたころは我が家も夕方になるとテレビのチャンネルがいつの間にか相撲にセッティングされており、母も父と一緒になって相撲の話題を口にしていた。

 相撲のルールや番付がいまいちわかっていない私は、唯一取り柄の視力を活かし懸賞旗の企業名を読み上げることで輪の中に入っていた(入れてたのか?)ものの、父がいなくなってからはもうめっきり……。

 

 相撲のテレビ中継で映し出された国技館の客席に、すでに亡くなっている伯父の姿を見つけた話が綴られている『再会』には泣いた。

 北大路さんと伯父さんの間でかつて交わされた会話がとても印象的で、画面に映し出されたのは伯父さんだったのだと信じたい。

 私もいつか国技館の客席に、父の姿を見る日が来るのではないかとドキドキしている。

 

 印象的と言えば、通りかかったアパートの窓から見えた相撲中継に熱中する肌着姿のおじいさんもそうだ。(『背中』より)

 というかこのおじいさんは、自分の記憶の片隅にもいる気がするの。夕方の住宅街、どこからともなく聞こえてくる相撲中継の音声。そっと家の窓を覗くと、前のめりになってテレビ画面に向かって叫んでいるおじいさんの背中……。

 

 同じ地域に住んでいた過去があるような錯覚を起こす。ちょっとセンチメンタルな気分になった。

  

第三章 呑んで読んで 呑まれて読んで

 書評って硬いイメージがある。なおかつ、厳しい。褒められていても、なんか厳しい。“評”の文字が入っているだけで、小心者には厳しく見えてしまうのが性なのか。

 

 第三章には書評が収録されている。

 しかし冒頭の『失くした本 今いずこ』がいきなりどなたが書かれた本なのか、謎なのである。いつ誰の手に渡り、いつ私の元に巡ってくるかわからない本の存在。それこそがひとつの物語にいずれなりそうだと思いながら、先に続く書評に目を通していった。

 

 日常に溶け込むような形で紹介されていく本の数々。どれも自分の生活に関係がある内容に感じられるから、全部読みたくなる。

 

 原田ひ香さんの『三人屋』は自分の好きな小説のひとつ。「美しい織物のような物語」と紹介されていて、読み返したくなったのでした。(『三人屋』の文庫版の解説として掲載されているようです)

 

第四章 奇談集

 最後の第四章は、『まち』『ともだち』の掌編小説が二編。

 どちらも不思議でゾクっする。

 

 『ともだち』は、胸が締めつけられた。

 殻に閉じこもろうとする娘の気持ち、娘の殻を破りたい母の気持ち。

 お互いの気持ちが痛いほどよくわかってしまう。わかってしまう上で、話の中に出てくる「ともだち」の存在をどう受け止めどう認識しようか。それからそれから、最終的には……。

 

最後に

 盛り沢山な内容が詰まっている一冊、北大路公子さんの『すべて忘れて生きていく』。このタイトル、額に飾りたいくらい好き。

 

 この数日間立て続けに北大路先生の本を読み、笑って笑ってちょっぴり切なくやっぱり笑って、な幸せな時間を過ごせました。

 

 ありがとうございました♡

 

(2020.10.5:読了)