みちてる、みちてた。

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『往復書簡 無目的な思索の応答』/又吉直樹✕武田砂鉄(2020.10.18)

 あえて人に訊ねたことはない。

 改まって人に披露する場面もない。

 でもずっとずっと、モヤモヤしている。

 周りの人々に、誰かの言動に、世の中の現象に。

 

 この違和感を抱えてるのは自分だけ……なの? 

 

 そして悶々と考えを巡らせ、眠れぬ夜を過ごす。そんな夜がこれまでに何度あっただろう。

 

 又吉直樹さんと武田砂鉄さんの文章によるやりとりが続く『往復書簡 無目的な思索の応答』を読み終えた。(新聞の連載として、一年半の間ふたりはやりとりをおこなっていた)

 

 

往復書簡 無目的な思索の応答

往復書簡 無目的な思索の応答

 

 

 

 読んでいる途中から「あ、コレだ…」と思った。

 何が「コレ」なのかといえば、頭の中で巡らせている「悶々」である。

 無限に枝分かれを繰り返していく脳内の「悶々」の一部が、ふたりの間で言葉として交わされていた。

 

 ふたりのやりとりで疑問が浮かぶ点については、私の語彙力・読解力・経験値のいずれもが不足しているために理解が追いつかなかった。または、自分が普段は意識せずスルーしているから鈍感になっている部分なのだろう。

 

 しかし時間が経って読み返したときに、パズルのピースがぴたりとハマるように合点がいって、道端で突然「ああ!」とひとりうなったりするのかもしれない。

 

*****

 

 特に惹かれたやりとりは、武田さんから又吉さんに向けて書かれた『夜に馴染む』からの数ページ。

 

 『夜に馴染む』では、夜になると自転車で帰路を急ぐ人たちの何人かが、武田さんの住むマンションの前から鼻歌を歌い始めるという話が綴られている。なぜ武田さんのマンションの前にさしかかったタイミングで、人々は躊躇いもなく歌い出すのか……。

 

 ここから武田さんの推測とともに一冊の本が紹介される。

 「暗闇」の中でペダルを漕ぎながら歌い出したくなる彼らの心理とその場面を私も想像してフッと頬が緩んだ。

 

 

 これに対して又吉さんが返した書簡のタイトルは、『妖怪ケンムン

 奄美諸島加計呂麻島には、河童に似た「ケンムン」という妖怪が住んでいるらしい。島の中でもケンムン目撃率が高いのは七十歳以上の方で、彼らはケンムンの存在を恐れているようなのだ。なぜ島の人たちは現在においてもケンムンを恐れているのか……。

 

 ここから又吉さんの推測とともに「暗闇」のワードが登場する。

 

 そして末尾にある、

 

不確かなものを凝視する時にも暗闇は役立ちます。(P21より)

 

 この一文。

  

 え? なに?

 不確かなものを凝視する時にも? って?

 

 重要な一文に触れた実感があるもかかわらず、瞬時に理解できず何度も読み返してはその意味を探った。

 本書の中には軽く読み流すことができない、「この一文が私の思索に新しい回路を見出してくれる」と感じる「思索の応答」が毎ページに存在する。

 

 又吉さんの『妖怪ケンムン』へ今度は武田さんが『本音ベース』とのタイトルで書簡を返しているのだが、この中で綴られた「心の闇」に対する武田さんなりの見解には感嘆させられた。その上で又吉さんの言う「不確かなものを凝視する時にも暗闇が役立ちます」というものの見方は、意識せずとも私の中で役立っていたのだな、と気づいた。グラウンドを何周もしたあとで気づけたような感覚だった。

  

*****

 

 世の中のペースについていけない。

 まるで把握できていないのに、次へ次へと流行は移り変わっていく。

 結論がでないままあやふやで流れていく議題は、いつしかなかったことになっている。

 

 ──ちょっと立ち止まる時間がほしい。

 

 そう感じるとき、この本を開きたくなるのだと思う。

 実際に又吉さんと武田さんによる往復書簡に目を通して、立ち止まれた。いまいちしっくりきていない出来事を「しっくりきていない」と思い直せる機会にもなった。

 

 秋の夜長におすすめの一冊だ。

 

(2020.10.18:読了)