2020年が終わる。
2日前、高校時代によく通っていた道を歩いた。
「そういえば、あの場所でよく猫を見かけてたなぁ」と思い出したら行ってみたくなったのだ。
高校時代へ戻りたいとは断じて思わないのに、高校時代に自転車を走らせた道に思いを馳せることは時折ある。
34歳になった今でも、胃の奥がぐにゃりとねじれるような悔しさがこみ上げてくる身体で私は嘆いている。
『第一志望の高校に行きたかった……』
人生に「たられば」なんてないとわかっていても、第一志望の高校に合格していたら10代は楽しかったかもしれない、尊敬する先生と出会えたかもしれない、心の穴が埋まったかもしれない、などとある意味過去に夢を見ているのだ。
そしてかなり本気で思っていることのひとつに、「難病になんてならずに済んだんじゃないだろうか」がある。これだけはちょっとやそっとじゃ譲れないくらい、頑固に信じていたりする。恨めしくてたまらない。
病気によってもたらされたありがたい縁はたしかにあった。私の人生のターニングポイントは、難病が確定したときだったとも言える。
しかし確定を得る前の症状が出始めた高校時代を含める数年間を、クソくらえ! と言い放ちながら葬れたらどれだけスッキリするだろう。
それくらい強烈に、高校時代をなかったことにしたい。
校舎に足を踏み入れるときの憂鬱、教室に教師が入ってくる瞬間の拒絶、絶望的な家計事情、削れていく体力と精神、おのれに対する殺意……。
誰かと記憶をすり替えてしまいたい。すり替えてしまいたいけれど、すり替えてしまったらあのころ毎日通った道をなんの感慨もなく現在の私は通り過ぎてしまうのだろう。
なぜかそれだけは惜しいと感じる。とてつもなく残しておきたい、と。どうしてだろう。街灯に照らされる夜道やオリオン座だけは認識できた夜空が、記憶から抹消されるのは寂しいとさえ思うのだ。あのころに見た感覚のままでこの先も覚えていたいのだ。
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今日で2020年が終わる。
発達障害の検査を受けてADHDだとわかった。とにかく不安が強くHSP気質だともわかった。
母が入院した。手術をした。
猫も入院した。猫はその後、天国へ旅立った。
緊急事態宣言なるものが発令された。
信じられないような著名人の訃報が多く飛び込んできた。
いろんな数字が毎日飛び交った。
ビュンビュンと景色と時間だけが流れていくような1年だった。
私は何を頑張ったわけではなく、耐えたわけでもなく、自身の感情や体力をコントロールできない苛立たしさを募らせる毎日だった。
過去の出来事が夢の中で再現されれば『第一志望の高校……』というフレーズが頭をよぎり、だけどその悔しさよりも高校時代に漕ぎたくないペダルを漕いだ道が愛しくて涙があふれた。
なんだかワケがわからない。
ワケがわからないといえば、2020年そのものがワケがわからなかった。
誰の発言も本当のようで嘘のようで。
まるでいまだに今年のはじめ毎日ニュースで流れていた、クルーズ船の情報を追っている感覚のまま大晦日を迎えたみたいでいる……。
一番ワケがわからないのは1年の締めくくりの日に、読んだ人を後悔させるような希望のカケラもない日記を書き残そうとする自分である。
ワケがわからない。
ワケがわからないなりに、よくぞ今日まで貴方も私もここまでたどり着いたものですね。
今夜くらいは肩の力を抜けたらいいですよね。