みちてる、みちてた。

ここにいるのにここがどこだかわからなくなるから、書き留めています。Twitter→(@yoshi_mi24)

牡蠣は無心で食べるべし。

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食レポによる牡蠣への期待値↑

 地元の駅近くにある和食屋さんの店先には、冬になると『牡蠣鍋』と書かれたのぼりが立つ。

 時折店の前を通るが、コロナ禍にある昨年からは季節の逸品が書かれたのぼりが立っていた印象は薄い。電光掲示板に点滅する『テイクアウト』の文字の方が目立っていたからだ。

 たけどきっと、この冬も牡蠣料理を提供しているのだろう。

 

 ところでみなさんは牡蠣がお好きだろうか?

 レモンをしぼって生で食するもよし、鍋でもフライでも、網の上で焼いて食べるもよし。様々な調理法が存在するのだから、我々は牡蠣を好む生き物であると言える。ビタミンや亜鉛などが豊富に含まれ栄養価値が高く、それでもって値段もお高い。ゆえにそうそう食べる機会はやって来ない。

 

 それでもスーパーで売っている鍋用の牡蠣を我が家の食卓にお迎えする夜はあった。かなりの偏食だった父の好物のひとつが、牡蠣だったからである。

 見た目は「アサリかな?」というほど小ぶりだったが、牡蠣は牡蠣だ。テレビで芸能人が食レポしている姿を見るたび、いつか食べてみたい! と憧れたあの牡蠣なのだ。

 

 決して子ども心を掴むようなビジュアルではないが、さぞ美味しいに違いない。違いない、違いない、違いない! とあまりに期待値を上げすぎたのだろうか。口に入れた瞬間から「飲み込めない……」と覚ったが、吐き出すわけにもいかないので味合わずに無理矢理胃の奥へ流し込んだ。もちろんそれ以上箸は進まなかった。

 

 ぶにゃっとした生臭いやつ──。

 これのどこが美味しいのかわからなかった。

 けれど両親は、まれに鍋に投入しては牡蠣鍋を冬に堪能している。以後、牡蠣鍋の感想を忘れたころにこれまた牡蠣への期待値を上げた状態でスーパーで売られていたカキフライを食べた。味の感想は鍋のときと同じ空振りに終わった。

 それでも何度だって牡蠣は、私に期待値を上げさせる。いや、牡蠣というより牡蠣を食べるテレビのレポーターが期待値を上げさせていたのかもしれない。

 

・カキフライ伝説

 しかし、あれは20代も半ばというころ。牡蠣に逆転ホームランを打たれる日がおとずれた!

 

 仕事終わりに職場の女性陣みんなで海鮮居酒屋へ行く話が着々と進んでおり……というか決定しており「ボスのおごりだよ♡」なる拒否権があるようでないと思われる飲み会だったため、9月末の夜に私もその場に参加していたのである。

 

 酒は飲めないし10月から始まる新体制への不安から顔に縦線が入っていた状態の私は、あの夜どこにある店に入ったのか、店内の雰囲気も何が話し合われたのかもまったく覚えていない。ただ大皿に乗っかったカキフライを見て、あまり食べたくないんだけどなと気が進まないながらも箸を伸ばした……なんて描写もあくまで想像に頼るしかないほど記憶が薄い。

 

 ところがカキフライを口に入れた瞬間の衝撃は忘れようにも忘れることができないのである。

 

「なんだこのうまさは!」

 

 ガツンとぶん殴られたかのごとく目を見開いた。あまりの不意打ちに全細胞が覚醒した。興奮したのか全身がカッと熱くなった私は、ジブリアニメの登場人物のようにブワッと毛が逆立っていたはずだ。(注:あくまでイメージです)

 

 口にしたカキフライは、ぶにゃっともしておらず生臭くもない。まるで以前食べたものとは名前が同じ、別物を食べているかのように美味しかった。塩味がきいているからソースは不要。サクサクした衣を破るとふわとろっとした優しい食感が舌を占領する。おまけに頭の中も占領される。

 

 だから、カキフライの美味しさしかあの夜の出来事は思い出せない。あ、嘘をついた。

 

「新鮮なイカってのは、白くねぇ〜んだよ!」

 

 生簀を眺めながら、酔っぱらいのおっさんが野太い声でウンチクをたれていたのもかろうじて覚えている。

 それで心得た。「新鮮な牡蠣はうまい。新鮮なイカは白くない」と。すべてはボスのおごりで。

 

・@さんの独壇場によって喪失した岩牡蠣の記憶

 牡蠣の美味しさを語れる側の人間になれたことを「カキフライ伝説」以降私は少々誇らしげに感じていた。

 それから2〜3年後、今度は違う職場の忘年会で牡蠣を食べる機会がおとずれた。奇しくもこの忘年会の席でも、私にはある意味牡蠣の記憶しか残っていないのである。

 

 入った店の「今夜のおすすめ」が岩牡蠣だったことから、ひとり一個注文しましょうという流れになった。結構なお値段にビビったが、こんな機会でもなければ手を出せまい。何より「今夜のおすすめ」なのだ。鮮度に自信があるから“生”で提供できるのだ。美味しくないわけがない! と思ったら、ワクワクせずにはいられなかった。

 

 しかし一抹の不安がよぎる。

 ふと思い出してしまったのだ。いつだったか母が「昔ね、生牡蠣を食べてあたったことがあるんだよね」と話していたのを。

 とはいえ、あちこちでよく耳にするナマモノで“あたった”話がどの程度の症状を表現しているのか当事者になった経験がない私にはいまいちピンとこない。そうこうしているうちに飲み物と岩牡蠣が目の前に登場したため、ワクワクがまさった私は「まあ、いいや」と母の話を脳内からかき消した。

 

「お疲れさまです、乾杯!」

 グラスに口をつけたあと、みんなそろって岩牡蠣にとりかかる準備を始めた。

「大きい!」

「美味しそう!」

「キラキラしてる!」

 誰もが口々に興奮の声をあげている。私の口からも「はわぁ〜」と吐息がもれた。

 そのときだ──。

 

「私、生牡蠣であたったことがあるんだけど」

 

 この一言をスルーできたらどんなによかっただろう。しかし@さん(40代/女性)が発した一言は、スルーが困難な声量だった。時がぴたりと止まったように感じたのは、みんなの視線が@さんへと集中したからに他ならない。

 

「大丈夫かな。すごくお腹痛くなっちゃって、あのとき。たぶんあたったんだろうなとは思ったんだけど、でも我慢してたのね。すっごく痛かったんだけど。そしたらさ、今度は息苦しくなってきて。アレルギー起こしちゃう、あれ。なんだっけ、アラフィフじゃなくって、そうそうアナフィラキシーショックっていうの? あんな感じで息苦しくなっちゃって、もう失神……」

 

 スルーできたらどんなによかっただろう。

 せっかく母の話をかき消したあとで、あたると「失神する場合もあるらしい」と情報がまさかのアップデートされてしまった。

 

 記憶はここで途切れている。失神したわけではない。が、途切れている。@さんの独壇場に恐怖を散々煽られ、不安に侵食されていく感覚を最後に私は記憶を喪失した。

 

 きっと私は岩牡蠣を食べたのだろう。その後も美味しそうな料理が次々と出てきたのだろう。解散したのちしっかり自分の足で帰ったのだろう。悲しいかなすべてが推測。

 それから、@さんが失神するような事態も起きなかった。いたって穏やかで楽しい忘年会に終わったようなのだ。ちなみに岩牡蠣はとても美味しかったらしい。そりゃそうだろう。見た目からして100点だった。同僚の感想にこちらも「あれは美味しかった」と心中切なく相槌をうつしかないのであった。

 

・学び

 以上の経験から私は学んだ。

 牡蠣を食べるときは煩悩を捨てなければならない。

 そうだ、無心で食べるに限るのだ。様々な情報が飛び交っていても、惑わされてはならない。おのれの舌を信じる他ないのだから。(注:個人差があります)

 

 これでもう、いつ牡蠣料理に誘われても私は動じない!