みちてる、みちてた。

ここにいるのにここがどこだかわからなくなるから、書き留めています。Twitter→(@yoshi_mi24)

鞄に『東京百景』をしのばせて。

 

 方向音痴がひどい。

 よく知らない駅に降り立ったさいは、その周辺から離れることができない。離れてしまえば二度と駅には戻れないからだ。

 たとえGoogleMapを装備していても、あまり頼りにできない。なんせ地図が読めないからだ。

 GPSが現在地を示してくれていても、ちょっとスマホを傾けただけで青い印が回転する。あの矢印クルリンパに混乱せず、なぜ目的地にたどり着けるというのか。

 

 友だち・知人との待ち合わせや仕事の面接の予定が入ると、「人と会う」緊張とともに「目的地確認」の任務が肩にのしかかる。

 今やネットを断ち切ったうえに埃をかぶり、インスタントラーメンまで乗っけられてしまっている私のノートパソコンが現役で活躍していたころは、Googleで、Yahooで、gooで、なんやかんやで地図を検索して一番見やすいものを印刷して鞄にしのばせていた。

 

 そしてその一番見やすいものというが、オープンしたてのお店のチラシに載っているような簡易地図である。

 駅の北口・南口等がしっかり記載され、目的場所には目立つ色で「ココだよ⬇」と知らせてくれている地図である。どんなに傾けても、クルリンパすることはない。

 ただしこんなにやさしい地図をチラシに印刷してくれているお店でも、ホームページの【アクセス】をクリックするとGoogleMapが表示される場合があるため油断ならない。

 

 決してGoogleMapをと批判しているのではない。

 空間認知能力が欠けている私は、迷子になるのを過剰に恐れている。いや、他にも外界を過剰に恐れている。恐れている自分に気づいて、さらに怖じ気づく。どうしてだろう。知っている場所、行ったことのある場所ですら近寄りがたくなっていくのは。

 

 昨日、又吉直樹さんの『東京百景』を購入した。病院へ向かう以外では久々に電車に乗って、買いに行った。もちろんそれ以前にも近所の書店に置いてあるのを見かけていたが、手を伸ばせなかった。「いまじゃないんだよ……」という、謎の勘が働き手を伸ばせなかった。

 もしくは怖じ気づいていたのか。本の中には自分も足を運んだことのある場所が出てくる。知らない場所に触れることより、知っている場所で迷子になりそうな心情を抱えていたため書店を引き返していたのだろう、きっと。

 

*****

 

 20代の前半。やはり私は外界を恐れていた。

 現在とはまた異なる心情ではあったけれど、恐れていた。

 

 当時、好きな作家さんの作品が映画化されるのを知りどうしても観に行きたくて、だけども映画館へ行くまでの道のりを想像しただけで動悸がした。チケットの買い方さえわからず、今さら人に聞く勇気が出ない情けなさで泣いた。それでも映画は観に行きたかった。映画館で観たくて観たくて、最終的には「うりゃー!!」と叫ぶ勢いで観に行った。

 

 好きな作家さん、好きな作品があることで「うりゃー!!」の勢いを持てると知った、10年以上前の春の日。

 

 今度は、地図の代わりに『東京百景』を鞄にしのばせて電車に乗る日がやって来るのではないかと思っている。

 だって私は、又吉さんの書く文章が好きなのだ。

 

東京百景 (角川文庫)

東京百景 (角川文庫)