みちてる、みちてた。

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「ラッキーにゃんこ」〜本日は猫の日〜

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 「ラッキーにゃんこ」という名の猫がいる。いる、というか私が勝手に名付けた。名付けたからといって、その猫と特段親しいわけではない。近づけば警戒されるし、避けられる。赤の他人ならぬ、赤の他猫なのだ。

 

 先日、私の手があと30cm長かったら頭を撫でられる距離まではじめて接近できた。最初に見かけたころからしたら歳をとったなあ、と感じる顔つきをしていた。つまりはこちらもそれだけ歳をとったのだと気づかされる。

 

 「ラッキーにゃんこ」を見かけ始めたのはいつだっただろう。確実に6年は経っていると思う。

 仕事へ出かける朝、最寄り駅へ向かうまでの道でよく見かける猫がいたのだ。白とグレーが混ざったその猫を目にする瞬間だけは、「これから仕事だ」という憂鬱や緊張が遠のいた。にゅっと頬が緩んだ。

 

 それである日の朝、その猫を「ラッキーにゃんこ」と勝手ながら命名することにした。このとき、『「ラッキーにゃんこ」を見た日はラッキー✨』なるジンクスも勝手につくった。つくってしまったがために「ラッキーにゃんこ」を見かけなかった朝は逆に不運な出来事に襲われるのでは……との考えにとらわれて自分の首をしめるはめになったのだけれど(;´Д`)

 

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 何度か転職をしているのだが、そのたびに朝は「ラッキーにゃんこ」に出くわせることを願っていた。早朝の寒い時間帯でも、姿を現してくれる。首輪はしていないが、きっとこの周辺で可愛がられているのだろうと推測していた。

 

 次第に「ラッキーにゃんこ」は、いつも佇んでいる場所で特定の人物からごはんをもらっていることがわかった。

 休みの日や仕事をしていない時期、夕方その道を通ったさいに「ラッキーにゃんこ」が年配の女性と親しげにしている場面を目撃したのだ。何度も目撃してさらにわかったのは、「ラッキーにゃんこ」は女性が現れる時間帯をきちんと認識しているということだった。

 

 女性とあんなに親密にしているのなら私もお近づきになれるかもしれない、と淡い期待を抱いたりしたが玉砕される。どうやら人間全般を信頼しているわけではなさそうだった。わかる。私も同じ。それなのに猫に対しては、関係性を縮めたい、ひと撫でしたい、あわよくばゴロゴロ喉を鳴らしてほしいと身勝手にも近づいてしまうのだ。申し訳ない。

 だからもう、「ラッキーにゃんこ」に関してはいつもの場所で見かけられるだけで十分だった。それだけで心からラッキーで幸せな気分になれた。

 

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 昨年に入って新型コロナが日本でも蔓延し始めてからは、積極的に外へ出る機会が少なくなった。おのずと、「ラッキーにゃんこ」がいる道を通る機会も少なくなり、通ったとしてもタイミングが合わないためか見かけることがなかった。

 

 日中は長居できる場所を確保しているのだろうか。あの年配の女性以外にも親しい間柄の人間がいるのだろうか。ごはんは、雨が降る日は、寒さが厳しい夜はどうしているのだろう。

 

 時折「ラッキーにゃんこ」への思いを巡らせるも、生存確認さえできない日々が続く。

 

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 そして昨年の12月ごろ。

 夕方散歩に出かけたさい、最寄り駅へ続く道を歩いていたら、いつもの場所に「ラッキーにゃんこ」の姿を見つけた。

 

 「うおぉぉぉぉぉ!!」と雄叫びをあげたくなるほど興奮した。

 駆け寄って抱きしめたい衝動に駆られているなか、予期せぬ展開がさらに私を驚かせた。

 なんと「ラッキーにゃんこ」がこちらに駆け寄ってきてくれたのだ! しかも甘えた鳴き声を発しながら私の足もとまでやって来たあちらと、ばっちり目が合った。もしかして私のことを密かに認知してくれていたのかしら(人*´∀`)。*゚なんて浮かれる。

 

 しかし悲しいかな、しゃがみ込んで手を伸ばした瞬間プイッとそっぽを向かれてしまった。そのまま「ラッキーにゃんこ」は私から遠ざかっていく。足早に遠ざかっていく。心を許してくれたわけではなかったらしい。ではいったい、どうして駆け寄ってきてくれたのだろう。

 

 家に着いたあともぼんやりそのワケを考えていた。

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 「ラッキーにゃんこ」は私を親しい年配の女性と勘違いして近づいてきたのだろうか。でも違うとわかるなり、ガッカリして去って行ったのかも。コロナ禍にあって、あの女性も外出を控えているのかもしれない。女性が頻繁にごはんをあげに行けなくなってしまったがゆえ、「ラッキーにゃんこ」は私をあの女性と勘違いするほどの空腹状態にあったとは考えられないだろうか。

 「ラッキーにゃんこ」も心配だが、女性の健康状態も心配だ。持病があるとしたらなおさら外出は控えたいだろう。コロナに罹っている場合も無きにしもあらず。何日もやって来ない女性に、「ラッキーにゃんこ」は空腹と共に寂しさを抱いているのでは。

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 などと想像を巡らせては、モヤモヤを募らせていた。

 

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 心身の健康のために散歩を心がけているものの、決まった時間に身体を動かせない私は散歩へ出かける時間もまちまちだ。

 

 今年の1月、昼下がりに散歩へ出かけたさい不意に「ラッキーにゃんこ」を発見した。けれど発見したのは、お決まりの場所ではなかった。そこから数メートル離れた一軒家の室外機の上で、毛づくろいをして寛いでいた。家主がそばにいたので、公認の間柄なのだろうと察する。

 翌日も同じ時間帯に通ってみると、室外機の上で日向ぼっこをしていた。また異なる日には一軒家の前の落ち葉の上で日向ぼっこをしていた。

 

 となると、「ラッキーにゃんこ」と親しくしていたあの年配女性の存在が気になってくる。関係を解消したのか。それとも新型コロナが2人(1人と1匹)の仲を引き裂いてしまったのか。まさか考えたくないが、持病が悪化して亡くなってしまったという可能性は……。

 

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 今月に入り、すでに何度か「ラッキーにゃんこ」を見かけている。冒頭で記した通り、至近距離での接近にも成功した。あちらは至って冷たい眼差しをこちらに向けてきていたけれど、「たくましく生きているね」と讃えたくなる。

 

 ところで「ラッキーにゃんこ」にごはんを提供していた年配女性なのだが、私の懸念は杞憂に終わった。ご健在だった。「ラッキーにゃんこ」との関係は今もなお継続している様子だ。これまた今月、「ラッキーにゃんこ」と女性が仲睦まじくしている場面に遭遇したのだから間違いない。

 よかった。ホッとした。「ラッキーにゃんこ」も年配女性も、私のことなど知りもしないだろう。あなたがたの生活の一部に私はいないとしても、私の生活の一部にはあなたがたがいないと非常に寂しいのだ。

 

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 本日は2月22日。通称「猫の日」。

 世界中の猫に幸あれ🍀