みちてる、みちてた。

ここにいるのにここがどこだかわからなくなるから、書き留めています。Twitter→(@yoshi_mi24)

私の身体を置いてけぼりにして、思考はフル回転する。


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 先々週の土曜日、難病外来を受診したさいに薬を一種類減らした。

 

 かれこれもう何年も下痢止めを服用していたのだが、「これをやめて逆に調子が良くなったっていう患者さんもいるんですよ」と医師から教えられ、「では今回はなしにしていただけますか」と処方箋から外してもらったのだ。

 

 しかし服用を止めた途端、トイレに駆け込むようになった。明らかに腹が緩くなった。「調子が良くなった患者さん」に自分は当てはまらなかったようだ。胃腸の調子を崩すと腰にも負担がかかってくる。

 処方箋から外してもらったことを早々に後悔した。朝方服用する一錠に、私の腹は支えられていたのだと身を持って知ったのだった。

 

 だけどいくら医師から助言を受けたとはいえ、長い期間服用していた薬を突然ストップする判断を診察の短い時間内下すのはいかがなものか。しかもその薬で悪化しているわけではなく、むしろ現状維持できていたのに。

 

 

 そういう場合は処方日数を半分とかに減らしてもらって、良くなったって感じてからストップした方がいいよ。

 

 

 ……と人に指摘されて「( ゚д゚)ハッ!」とはじめて掘る思考回路に行き当たった心地になった。

 

 冷静に考えれば、自力でも行き当たれる思考回路だったはずだ。たとえば心療内科でもらう薬は、いつも慎重に減らしたり増やしたりしてもらっているのだから。

 けれど柔軟な考え方が咄嗟にできない。そのくせ、診察室での私の思考回路は妙な方向へ繋がっていた。

 

 

 そうだなあ、○○先生は無駄な処方の削減に取り組んでいこうとするタイプの先生な気がするもんね。もうひとりの△△先生は、結構すぐに他の薬を処方してくれるタイプだから、先生によってやり方が異なるんだろう。今回は採血もしないみたいだから、いろいろ事情があるのかなあ。病院側には病院の。先生には先生の。今はコロナもあって──(省略)。

 

 

 なぜか病院の経営方針やら他の病院での診察を掛け持ちしている医師の疲労具合やらには頭が回るのに、自分の体調には意識が回らなくなるのだ。

 おそらく診察室に入るなり、まずは医師の目元や口元のちょっとした筋肉の動きに注目してしまうせいだと思う。話そうと用意していた文言も、その日の雰囲気によって飲み込んでしまう。

 そして一番肝心である前回から今回の診察までの期間、自分自身に起きた体調の変化をうまく捉えられていないことも飲み込んでしまう要因だ。

 

 ここに書いていてようやく腑に落ちた。細かな視点が重なって重なって重なった結果が、すごくまどろっこしい思考回路へ導いていたのではないだろうか。

 

 「医師」を「権威のある立場」として見ているから、必要以上に恐れる。長い付き合いになるとなれば、悪目立ちはしたくない。病状が落ち着いているなら、自分が診察に時間を割くのは後に待っている患者さんに申し訳ない。

 短い間に思考はフル回転する。私の身体を置いてけぼりにして。けれども100%周りへの配慮でそのように考えているわけではなく、結局は自分への配慮がまさって縮こまっているだけなのだ。

 

*****

 

 昨日は昨日で心療内科を受診したさい、ADHDの薬として前回から処方された「アトモキセチン」の感想を医師に訊かれたが、言葉に詰まった。効果の実感があったかと言われると、どんな薬も毎回「よくわからない」のである。

 

 手帳にはいつから薬の服用を始めたのかメモしているし、簡潔に体調を記してもいる。次回受診のときにちゃんと説明できるようにと心がけてメモをしているのに、1ヶ月前と現在を比較して変化した「感覚」をつかむのが下手すぎるのである。

 

 病院へ向かう前から、新しく服用を始めた薬の感想を訊かれるのをわかっていて答えを準備していきたいのに、言い表せる言葉が見つからない。いざ診察室へ入れば、医師の表情や声のトーンに集中してしまう。

 それから時間が経ち、家で読書をしている最中に突然「あっ、そういえば最近、へたりこむほどの疲労感がなくなったような気がする」とまるで天から「感覚」が降ってきたかのごとく実感するのだ。

 

 これって、何なのだろう。

 状況に対する過敏反応なのか、常に自分を守るのに必死なのか、頭の中が忙しいADHDの特性の一種なのか。

 

 はたしてこの文章に共感する人はいるんだろうか……。