みちてる、みちてた。

ここにいるのにここがどこだかわからなくなるから、書き留めています。Twitter→(@yoshi_mi24)

ハマる時間を増やしたい。

 何を悩んでる?

 何で困ってる?

 「消えたい・死にたい」とため息をつく直前、何を考えてた──?

 

 これらの問いには向き合いたくなかった。悩んでいるのも困っているのも、消えたくて死にたいのも私のようで私ではない、だけどまったくの別人とは言い切れない心の住人が抱いているものだと思っていたから。というか、思っていたかったから。いやいや、現在進行形で「思っている」のだ。

 

 つい先日、はてなブログを開設して半年が経ちますよとの通知が来た。ここへは移行してきたから、それ以前から日記やエッセイを書き留めている。生まれてはじめて吐き出すような内容を、書き留めてきた。

 書いたら認識が変わる気がした。「書く」こと自体も昔から好きだった。というか、やめられなかった。書いては捨て、書いては捨ててきた。残している日記もあるにはあるけど、「残す」と選択しただけあって見返しすのにたえられる内容のものだった。

 

 文字にするのも躊躇う。たとえ5秒後には破り捨てるとしても、文字にできない私がいる。認められない。認めたくない。切り離していたい。そんな「私」がいる。

 

 “生まれてはじめて吐き出すような内容”を書き留めてきても、どこか実感が伴わない。幽体離脱した自分が書いたものみたいに、過去をもうひとりの自分に背負せているのかもしれない。昨日までの記憶は借り物に近く。今日がいつも産まれたて。それでは認識は変わらない。変わらないとわかっていて、“感覚”は頼りない。舌の上で美味しい、不味い、甘い、辛いがコロコロ変わっていく。変わっていく日々の中で、認めたくない私はより強く固定されていく。

 

 まれにピタッと、心と身体に過去と現在がハマるときがある。カウンセリングを受けた後や何かに集中していた直後に。「抱きしめてあげたい。」というブログ記事を書いたときもそれがあった。

 

yoshi-mi.hatenablog.com

 

 ピタッとハマりたい。ハマる時間を増やしたい。増やすことで可動域を広げたい。

 

 気づけば私以外の家族は、コロナのワクチン接種(1回目)を終えていた。どうか可動域を広げる前に、自分にもワクチン接種の番が回ってきますように。