みちてる、みちてた。

ここにいるのにここがどこだかわからなくなるから、書き留めています。Twitter→(@yoshi_mi24)

神棚(仮)にある2冊。

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 我が家の神棚(仮)には、本が添えられている。北大路公子さんのエッセイ『流されるにもホドがある』と浅生鴨さんの小説『猫たちの色メガネ』の2冊だ。

 2冊とも私が購入した本であり、神棚(仮)に添えたのは母である。

 

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 昨年入院・手術をして以降、日常の行動範囲が狭まってしまった母は、家の中で過ごす時間が多くなった。思うように身体を動かせないもどかしさから、気力がわなかい日もあるだろう。本来なら今年は、母の田舎へ帰って一緒にお墓参りへ行きたいところだったが、社会的状況が状況なだけに遠出は難しい。

 

 何か家の中で楽しめるものはないだろうかと考えたとき、私に思い浮かぶのは読書しかなかった。

 

 しかし、母に読書の趣味はない。読書に限らず趣味を作るだけの時間がなかった、と言うのが正しいのかもしれない。他人には絶対に忙しなく働いているふうに見せない人なのだが、かといって家族にもそう見られたかったわけではないだろう。

 この辺りの話に触れると本題から逸れてしまうので、割愛する。

 

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 読書を提案したところ母も「読んでみようかな」と言うので、嬉々として真っ先に北大路公子さんのエッセイ『流されるにもホドがある』を差し出した。

 

 

 

 北大路さんが飼っていらっしゃる白猫の猫姐さんの魅力については、常々まるで洗脳するかのごとく母に伝えていた。ゲラゲラ笑いながら北大路さんのエッセイを読んでいた娘の姿も、チラチラ彼女の視界に入っていたと思われる。

 

 そうだ、笑ってほしかった。楽しんでほしかったのだ。自分が好きなもの、楽しんでいるものを知ってもらいたい気持ちが強かった。

 

 おかげさまで、母も笑いながら読んでいた。

 つい先日知ったのだが、一度読み終えた『流されるにもホドがある』を母は再読し始めたらしい。眠れぬ夜に読んでいるらしい。楽しんでもらえて嬉しい。著者でもないのに、生意気にも聞こえるようなこと言ってごめんなさい。だけど本当に嬉しかったのです。

 

 

🐾🐾🐾🐾🐾

 

 

 次に差し出すなら、浅生鴨さんの『猫たちの色メガネ』にしようとこちらも早々に決めていた。

 

 

 

「決めていた」なんておこがましい限りだけれど自分が読んだとき、不思議で滑稽な人間世界につい口元を緩めている自身の滑稽さに気づいてゾクッとした感覚が忘れられられずにいた。

 そして、ストーリーの発想がどこからくるんだろうと昨年母にチラと話していたのを思い出した。

 

 

 本書にはショートショートが27本納められている。1編目の『誰よりも普通』(自分はアンドロイドだと言い張る幸彦の話)にはクスッとしていた母も、何編か読み進めていくうちに「この話はどういう意味だろう」と頭をひねり、すべてを読み終わったときには「どれもすごかった。短い話だけど、どれも最後はちょっと……アレなんだね」と語気を弱めた。

 

 母の言う「アレ」が私の得た「ゾクッ」の類なのかどうかはわからない。奇妙な世界に迷い込んで右往左往しているのも、それを塀の上や足元で眠たそうに眺めているのも己であり己ではないような、そもそも感じた「ゾクッ」を私も正確には言い表せなくてずっと迷い込んだままなのだ。

 

 だから母に胸中を打ち明けようとするとき、言い表せず迷い込んだままでいることを知ってほしいと甘えたくて知られてたまるかと癇癪を起こしそうで、流したくない涙がボロボロ流れてくる。母も母で「アレ」の深いところを私に伝えようとして、こちらが先に泣き出すものだから語気を弱めてしまうのだろう。

 お互いに深い部分へ立ち入っていいものか普段から躊躇する姿勢が、本の感想を伝え合うところで露呈したような気がした。

 

 だけどやはり、自分が大事にしているものを共有できた喜びは大きかった。私が持っている本を母が読んでくれる日が来るなんて思ってもみなかったから、素直に嬉しくて仕方がなかった。

 

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 読み終えた上記の2冊を母が神棚(仮)に添えているのは、本が汚れないように配慮してくれているからだろう。私もはやく収納BOXに戻せばいいのに、わざわざそうしないでいる。父が亡くなって以降、思い出と化しそうなものにやたらと感傷的になってしまう。

 

 ところでなぜ神棚に「(仮)」がつくのかについては、経緯を記せばこれまた話が逸れるので割愛する。

 

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 ふと思い出したので追記したい。

 

 小学生のころ(恐らく5年生くらい)、海外の児童文学は学校の図書室で手に取っていたものの、日本の小説については何をどこから読んでいけばいいいのかさっぱりわからずモヤモヤしていた。

 小説や歴史については父親が詳しいとわかってはいるのだが、父に質問するのは気が引ける。二言目には「そんなことも知らないのか」の言葉で封じ込められてしまいそうな気がして、こわかったのだ。

 

 そのため母に訊ねることにした。

「日本の小説は、どれを読めばいいのかわからないから教えてほしい」

 とかなり直球で訊ねた。

 

 すると母は野菊の墓をすすめてくれた。「いい話だよ」と言い、なおかつ「映画では松田聖子が演じていてね」という豆知識まで提供してくれる。

 松田聖子が演じたいい話、に当時はあまりピンとこないまま図書館で『野菊の墓』を借りて読んだのを覚えている。そして、自分には難しかったなあとガックリしながら返却しに行ったのも覚えている。

 

 もしかしたら母も、本の選び方がさっぱりわからなかったのではないか。いつだったかもう成人になってからの話だが、「どうやって読みたい本を選んできてるの?」と母に訊かれた記憶があるのだ。確かに私は、いつしか自然に手を伸ばせるようになっていた。

 

 「わからない」感覚がわかるからこそ、そこから母が絞り出してすすめてくれた『野菊の墓』を猛烈に読みたくなった。一瞬すすめられたのは『路傍の石』だったかなと迷ったが、「松田聖子 映画」と検索できたおかげで『野菊の墓』だと確信。ゆえに早速、一昨日図書館で借りてきた次第である。

 

 

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児童コーナーをうろつき、青い鳥文庫を手に取る35歳。

 

 政夫と民子の初恋に、泣いた。

 まさかと思ったが、頬を濡らしていた。 

 政夫より民子の方が年が上だからという理由で、ひきさかれてしまったふたり。学問に励む政夫も渋々嫁に行った民子も、お互いに揺るがない確固たる想いを胸の内に秘めて過ごしていた一日の終わりを想像すると、いたたまれなかった。

 

「お母さん、このたび20数年ぶりに『野菊の墓』を読みました。すすめてくれてありがとう。いい話だった」

 

 随分遅くなってしまったが、お礼を言いたい。

 

 

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