みちてる、みちてた。

ここにいるのにここがどこだかわからなくなるから、書き留めています。Twitter→(@yoshi_mi24)

私の不登校時代、母が残してくれていた記録を見つけて。

 

 9〜10月に本腰をいれていた我が家の大規模断捨離。現在は小休止中である。

 リサイクルに出すか処分するか悩む物が残っているのと、人形は供養する方面で考えており地元で供養祭が行われる時期を待っているといった感じ。

 

 父親の仕事関係の書類を素手でコツコツ裁断していたころ、私はTwitterでこうつぶやいていた。

 

 

 そう、あらゆる書類を封印していたクリアケースの中には、学生時代の自分に関するファイルも埋まっていたのだ。通知表や学校からのお知らせなどが保管されており、ファイルの最後にはA4判の茶封筒が挟まっていた。

 

 なんだろうと、おっかな半分でそっと中身を覗いた。

 すでに小学校6年間の通知表を読み返し、気分が萎えていたのだ。担任のコメントは大半が「笑顔が見られるようになってよかった」であり、そこしか褒める要素がなかったんだろう……と毎学期記す文章を絞り出さなければならない担任が気の毒にさえ思えた。

 

 話を茶封筒に戻す。

 中からは、1冊のノートと数枚の原稿用紙が出てきた。

 

 原稿用紙については、文字を見ただけですぐにいつ書いたものだかわかった。中学1年から2年に進級するさいに学校側から求められた読書感想文と、中学3年のときに書いた卒業文集に載せるための作文だ。

 

 こっ恥ずかしい。

 だけどほんのわずかに「懐かしい」と感じたのは、不登校児だった中学時代に通っていたフリースクールのような施設のことを思い出したからだった。

 これまで生きてきて、唯一外界で安心を得られた場所だった。もう二度とあんな空間に出あえる気がしない。不安症の私が安堵に浸れた稀有な場所と時間、そして思い出がある。

 

 当時のあの安堵感を思い返しつつ、同じく封筒に入っていたノートをパラパラめくってみた。軽い気持ちで。パラパラと。

 

 めくれていくノートにあったのは、母親の文字。

 ドキッとした。私の名前や「不登校」の文字が、目に飛び込んでくる。ガツンと後頭部を殴られたような衝撃で、安堵感など一瞬でふっ飛んだ。直後には、涙が噴き出すように流れ始め嗚咽が止まらなくなった。

 

 そのノートは、私が不登校になってからの時系列を母が記録していたものだった。

 

*****

 

 不登校時、自分の部屋にひきこもっていた私は、親が学校側とどんなやりとりをしていたのか詳細を知らずにいた。

 親に、特に母には多大なる迷惑をかけたこと。そういった想像をリアルタイムでできなかった私は、少々頭のネジがぶっ飛んでいたと思う。覚えているようで思い出せない日々の連続。自分のものなのに他人から借りた記憶みたいに感じるのは、あの日々が「現実」だったといまだに受け入れたくないから。拒絶していたいからだ。

 

 だから母が記録していた内容を読んで、忘れていた記憶がよみがえった。映像としてではなく、体感として。どうして忘れていたのだろうと不思議なほど、ひどく荒れ狂っていた13歳の自分が身体の内側で熱を放ち、「ここにずっといたんだよ」と訴えかけてくるようだった。


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 担任の男性教師に対して苦手意識を持っていた。

 そもそも男性を嫌悪する傾向が幼いころから私にはあったけれど、担任教師に対する嫌悪は拒絶に値するほどのものだったことを、体感としてよみがえるまで忘れていた。

 

 個人面談のさい、ショックなことを言われた。思ってもみなかったことを指摘され、頭が真っ白になった。普通に中学校生活を楽しめていたつもりだったのに、やはり私はここでも異物なのかもしれないとあのとき肩を落として帰った。

 

 不登校になった引き金のひとつ。それが担任の存在だった。

 それまでも、そして現在も教師とか病院とか「先生」と呼ばれる立場の人と対峙するのは苦手だ。逃亡したくなるくらい。

 なのに、忘れていた。担任教師がうちへやって来ると聞かされたとき、泣き叫び拒絶し激怒したことを。家中に響き渡る、というか意図的に響き渡らせる声を腹の底から放出した。

 

 咆哮する娘を母はどんな目をして見つめていたのだろう。

 

 それを考えると、またこの場で荒れ狂いたくなる。己に殺意を覚える。

 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい──。

 

 ノートにある母の一文字一文字を冷静には読めない。

 私は学校へ行きたくない理由を、当時は一切口にしなかった。

 最近になり、常に不安が強い性質や環境の変化に弱いこと、物音に敏感で頭の中がひっちゃかめっちゃかなことなどを打ち明けるようになったが、内心では心療内科へ通う娘に母は複雑な心境を抱いているのではないだろうか。

 

「娘さんは心の病気」

「(学校へ行かないのは)家庭の問題でしょ」

 

 

 母は、担任教師からそう言われていたそうだ。

 それに対して母は、反論していた。興奮気味に声を荒らげたときもあったらしい。

 娘が理由を口にしないのだから、親があらゆる面に疑いをかけたくなるのは当然だろう。学校側に理由があるのではないか、いじめがあったのではないか、等々。

 

 ──なぜ娘は学校へ行かないのか。

 毎日頭を悩ませていた問題が過去になったころ、当の娘が心療内科へ通い始めた。

 そんな娘に母は、「あなたは自分から病気に近づこう近づこうとしてるんじゃないの?」と言った。

 

 理由はわからなくはない。今ならわからなくはない。「娘さんは心の病気」「(娘さんが学校へ行かないのは)家庭の問題でしょ」というあの担任教師の言葉が、肯定されてしまう恐れと共に屈辱感が母の胸にはあったのではないだろうか。

 

*****

 

 不登校児の親御さんのSNSをよく見かける。不登校に限らず、発達障害精神疾患を抱えるお子さんとの生活を綴っている親御さん。

 楽しそうな雰囲気で更新していらっしゃる方もいれば、悩みや不安をありのままに吐露している方もいて、何か声をかけたくなるのだけれど、かける言葉がいつも見つからない。

 

 親御さんだけではない。実際に現在不登校だという学生や、メンタルの弱さを自責しては死にたくなるほど自分はダメな人間だとつぶやく子どもたちにも、かける言葉が見つからない。

 

 どちらに対しても、「そんなに自分を責めないで」といった内容をそっとコメント欄に置いていきたいのに、置いていく資格が私にはないように感じるのだ。

 

 だけど、親御さんもお子さんも「そんなに自分を責めないで」ほしいと思っている。

 言葉で言うほど簡単ではないことくらい百も承知だが、無責任にも聞こえる「大丈夫」を送りたくなる。

 解決策は私にもわからないままだけれど、「いろんな選択肢があるはず」だと手を握りたい。

 身近にいる人より、顔も名前も知らない誰かの言葉に寄りかかりたくなるときってあるから。あるから、吐露したくなる場所としてSNSに辿り着くのだろうと思っている。