あけましておめでとうございます。
無事にあけました。2022年も。増加傾向にある新型コロナ感染者数が気がなるものの、我が家は家族そろって2022年を迎えることができました。ありがたいの一言に尽きます。
どうぞこのブログも引き続きよろしくお願い致します。
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ところで、年越しの瞬間にこだわりがある人はいるだろうか。結構いそうな気がしている。
「ゆく年くる年」を観なければ年末年始を肌で感じられない派。「2355ー0655年越しSP」でいち早く干支ソングを聴きたい組。0時ぴったしに「あけおめ」をSNSに更新するためスマホを握りしめてい隊。日を跨ぐ前に寝る習慣を崩したくないんで党。
私は日を跨ぐ前に寝てしまおうかと今年……というか昨年の大晦日は考えていた。音のある世界から一歩身を引き、静かな空間で落ち着きたい思いからだった。それは、2022年に対する願望でもある。瞑想できるくらい頭の中でガヤガヤ音を立てる要因を取り除いていきたい。そんなわけでここ最近、家を出る計画を練っていたりしたわけである。
しかし、「読むなら今ではないか」と内なる声が響いた。
次に読みたい本を私は枕元に置く習性がある。そしてこのとき枕の横に置かれていたのが、こだまさん・髙石智一さんのエッセイ『こもれび』だった。
11月に東京で開催された文学フリマ。はじめて足を運んだ文学フリマ。そのさいに購入した一冊である。
寝ようと掛け布団をめくりながら、目に飛び込んできた表紙に誘われた。(写真・装丁は江森丈晃さん)
──読むなら今ではないか。
そうに違いないと直感した。静寂に恵まれた夜だからこそ、読みたくなった。
そして読み終わったあと、「今でよかった」と軽く下唇を噛んだ。
「喫茶の妖精」(髙石さん)、「思い立ったら家を出る」(こだまさん)は特に気に入り、自分に足りない一押しを教えてもらえたような気分だった。
著者のおふたりは、どこか似ている。紆余曲折しながらも「妥協はしたくない」信念をひそかに胸に抱えている。この“ひそかに”が控えめではなくむしろ強靭に浮かんでくるのだ、文章を読んでいると。
いつだって足枷になっているのは、己が心中でひそかにつぶやく声だ。
「これくらいでいいよ」
「自信ないならやめときなよ」
「そこまでしてやる必要ある?」
周りに抑止されているわけではない。私が私の足首を掴み、「いや、やっぱり……」と決断を後回しにさせている。
やれば終わる。たまに遠くに逃げたとしても、やる。やり通せ。やれ。──
(「思い立ったら家を出る」より)
2021年中にギリギリ購入した、2022年の手帳。表紙を開いた1ページ目に、上記のこだまさんの言葉を書き写したい。
大切な一冊がまた増えた。
さて、みなさんはどんな風に年越しの瞬間を過ごしただろうか。