みちてる、みちてた。

ここにいるのにここがどこだかわからなくなるから、書き留めています。Twitter→(@yoshi_mi24)

私は私の人生を生きたいから、家を出る。(今年の目標)

 

 何を背負おうとしていたのだろう。

 

 家族それぞれが安心して暮らしていける道筋を開拓しておかなければ、とおかしな使命感に悩まされていた。

 

 家から出ていくことに「ひとり抜け出す」みたいな感覚を持っていたから、チクチクと罪悪感に胸を刺されていた。刺されていたというか、自ら刺していたのだと今は気づいている。

 

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 一昨年入院&手術をしてから身体的・精神的に落ちている母親を見て、周りに頼ったり自治体に相談したりできるようになれば、ちょっとは視界に変化が生まれるんじゃないかな、なんて思っていた。

 これからの母には楽しい時代を生きてほしい。そのひとつにコミュニティへの参加があってもいいのでは? みたいに。

 

「はっきり言って友達がいないのって異常だよ」

 

 中学時代、母からそう言われたことがある。私が登校拒否を始めたころ、母はノイローゼ気味だった。きっと私がそうさせてしまった。金銭面の問題にもかなり追い詰められていただろうけれど、引き金になったのは娘の私だったに違いない。

 

 鬼のような形相で他にも多々指摘されたものの、「友達がいないのは異常」という指摘には「お母さんもいないくせに」と心の中で反論していた。「あなたに言われたところでねえ」と。

 

 学生時代には母にも友達がいたのだろう。知っている。毎年年賀状が届いていたから。

 しかし私が見てきた母は、いつだってひとりだった。誰も信用していない。もしかしたら私以上に厚い殻を被っていたのかもしれない。そしてそれは、結婚して以降自ら被ることを決意した出来事があったからなのかもしれない。

 

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 先日やんわり母に提案してみた。こうこうこういうふうに役所に相談しに行くことも可能みたいだよ、と。ああしろこうしろと家族に押し付けられる鬱陶しさはこちらも十分わかっているから、あくまで情報提供を装って。

 すると母は眉間にシワを寄せた。

 

「相談するとかは絶対に嫌!」

 

 それを聞いた瞬間、なんだかホッとしている私がいた。肩の力が抜けていくような。

 「絶対」「嫌」。

 なんて強く頑なな響きだろう。

 本音を聞けて良かった。そんなに嫌なんか、と知れたおかげでおかしな使命感が剥がれていき身が軽くなったのだ。

 

 私は勝手に、母は本当は寂しいのではないかと思っていた。人付き合いが得意ではないタイプとはいえ、誰かとしゃべりたくなることくらいはある。少なくとも私にはある。だからこれまで、ちょくちょく色んなコミュニティに顔出ししてきた経験が私にはあった。(実はあるのだ。てへっ)

 

 けれども「母は母」なのだ。

 本心までは知りようがないけれど、「絶対に嫌」と断言する母の意思を尊重したい。守りたいテリトリーがあるなら、無闇に触れないでおこう。

 ただし、情報提供は時折したい。

 昨年秋についにスマホユーザーになった母だが、インターネットに繋ぐのは怖いと言う。わかる。変なところをクリックしてしまったらどうしようという怖さ、わかる。莫大な請求が来たらどうしようという怖さ、わかるよ、わかるさ。だけど悲しいかな、私も機械には疎いのだ……。

 

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 身が軽くなったところで、家を出ることを今年の目標に決めた。

 すでに福祉関係の方に相談に乗ってもらっている。

 不安はよぎる。よぎらないわけがない。一方でチャンスでもある。

 

 私は私の人生を生きたい。