みちてる、みちてた。

ここにいるのにここがどこだかわからなくなるから、書き留めています。Twitter→(@yoshi_mi24)

私はただ、聞いてほしかったんだ。

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 新型コロナウイルスの濃厚接触者になった翌日には、心療内科の診察とカウンセリングをキャンセルした。

 クリニックと薬局の双方へ連絡をとり、非接触になるように「電話診療」&「処方薬郵送」という形を快く受けてくださったクリニックと薬局に感謝しています。

 

 ところでカウンセリングはキャンセルしたまま、新しく予約枠をとるかどうか迷っているところ。

 「思考の癖」や「認知の歪み」そういうの治したいんです、と主治医に打ち明けてからカウンセリングを受け始め、認知行動療法なるものを学び始めた。

 

 途中で、心理士さんにはかなりいろんな面でお世話になっている。(現在通っているB型事業所の見学にも付き添ってくださった)

 

 ただ最近では、「認知行動療法」ってなんなんだろう……とよくわからなくなってきてしまったことで、カウンセリングへ通う意義もわからなくなっていたのだ。

 

 日々の日記と自動思考を感じとったときの「セルフモニタリング」。渡すタイミングがつかめず、いつだったか「実はこれだけ書き溜めていました」と何十枚の紙の束を心理士さんにお渡しした。

 

 それからまた少し経ち、「あの大量にお渡しした日記とか、○○先生(心理士の名前)はどのように受け止められましたか」とドキドキしながら私は訊ねた。

 すると、「こちらもフィードバックしなければならないと思っていました」と所々に心理士さんのアドバイスや認知の再構成が必要な部分に付箋が貼られた紙の束が再び私の手元に返ってきたのである。

 

 なかなか目を通す勇気が出なかったのだけれど、手元に戻ってきた数日後に意を決して読み返してみた。

 当たり前だが心理士さんは心理士の立場から捉えたアドバイスを書き込んでくれていた。

 

 「ここの感情を理解してもらえると報われたように感じる」点はことごとくスルーされており、親に対する思いとか、これまで頭に浮かべることさえ罪だと感じていた胸の内を泣きながら文字にした時間が急にあっけなく散っていったように思えた。

 

 私は何のためにカウンセリングを受けたかったのだろう。

 

 考えると、やはり話を聞いてほしかったからだと思う。普段主治医とは診察内でやりとりするのが難しい、生まれたときから今日に至るまでの話を聞いてほしかった。

 思考の癖や認知の歪みは、最初からぼんやり理解していた。

 物心つく前から不安に苛まれていたっぽい自分、物心ついてからは不安が日常になっていた自分。ひっくるめて聞いてほしかった。学校の先生の言動、小児科病棟の意地悪な看護師、自意識との葛藤、容姿を馬鹿にされ自転車で罵倒されながら追いかけられた夜、そんな自分の胸を触りたいと言ってくる大人の不審者から「殺されるかもしれない」と全力疾走して逃げだ小学校の帰り道。

 

 聞いてほしかった。認知どころか魂が歪んでてもいいから、聞いてほしかった。私はただ、聞いてほしかったんだ。

 

 聞いてもらったあとで、ギュッと抱きしめられたかった。いくら自分で自分を抱きしめても、満たされない癒やされない、他人の温もりを分けてほしかった。

 

 カウンセリングの予約どうしよう。

 この通りの話を一度伝えてみるか、はたまたしばらくカウンセリングは休むか。

 

 だけど心理士さんには、心からお世話になった。カウンセリングルームとの繋がりができたことには感謝しかありません😌