みちてる、みちてた。

ここにいるのにここがどこだかわからなくなるから、書き留めています。Twitter→(@yoshi_mi24)

私は特別変わらぬまま、ただ流れに身を任せている。

 

 周りの景色は、すっかり緑が色濃くなった。

 立ち止まり桜を眺めていた人たちは、どんな日常へ戻っていったのだろう。

 

 学校や職場で新しい生活が始まった人たちは疲弊が溜まり、ゴールデンウィークを楽しみにする一方で休み明けを恐れているのではないだろうか。

 っていうか、私自身がそういうタイプなのだ。祝日は嬉しいようで、普段のリズムが崩れてしまう。一度崩れると復元するまでに時間を要する。

 

 まさに4年間の空白に、気力・体力・声の出し方、会話の仕方・化粧の順番・外へ出かけるタイミングなどがポロポロ剥がれ落ちていき、取り戻せないどころかはじめから習得できていなかったんじゃないかと肩を落とすように。

 

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 2月に新型コロナに罹ったときは、幸い症状には悩まされなかったために事業所を休まなければならないことへのショックが大きかった。そして長いこと休んだら、案の定再び通所するのに大きな勇気と覚悟が必要になった。

 

 不安障害が改善されない。

 3月の1ヶ月間で、朝家を出るときの胸のバクバクはおさまってきたけれど、もう半年以上通っている事業所で職員さんや利用者さんの名前を呼べない。

 私に相手の名前を呼ぶ権利があるのか、そもそも相手に自分の存在を認識されていないのではないか……等々、細かなことをごちゃごちゃ考えてしまうのだ。

 作業中は集中力を保てるし、作業自体が楽しい。それが救いで通えている。

 

 外へ出るきっかけや人の中にいる時間を欲したから、今の事業所へ辿り着いた。

 自分の時間と空間を欲しているから、一人暮らしの計画を支援者さんに相談しながらグループホームの見学などに出向いている。

 

 もう死ぬからほっといてくれ──。

 そう考えていたときから比べれば、心境に変化はあった。

 けれど根本的な部分、性格や思考の癖、特性が変わったわけではない。「相変わらず」がくっついて回る。

 

 ただ流れに身を任せてみたら、興味あるものに手を伸ばしたくなったり、映画を観に行こうとか文学フリマまで足を運んだりしていただけのこと。

 私が変わったわけではない。

 環境が変わり、その流れに沿って進んでみただけなのである。

 それから世の中にある魅力的なものとの出会いに恵まれたのが大きい。

 

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 過去が変わることもない。

 誰かに言われた一言がグサっと胸に刺さったまま抜けずにいる。

 

 小学校時代にお年玉を父に盗まれたこと。中学時代に母が私の机の中を勝手に覗いていたこと。(私宛の郵便を開けられたこともあった。やれやれ)

 

 事実は変わらない。

 私もまた誰かを傷つけたひとりであることだって、そう。

 

 記憶としてしっかり刻まれている。

 自信を削られていくような場面は、決して消えない。

 これまでと変化があったとすれば、それらの記憶が頭の芯に居座らなくなった。圧縮袋に入り隅に寄せられている。

 

 まだ手を伸ばしてみたい分野がある。

 いろんな師匠を見つけたい。

 

 会話となれば言葉に詰まり、頭の中はガヤガヤうるさく、長い時間悩んだあげく選択をミスる。やはり私は変わっていない。変わっていないのに変われたような気にさせてくれたのは、話を聞いてくれる支援者さんやまずは生活リズムや環境を変化させてみたいと思わせてくれた世界があったからだ。

 

 そして無理に自ら舵をとらず、今は流れに身を任せている。