みちてる、みちてた。

ここにいるのにここがどこだかわからなくなるから、書き留めています。Twitter→(@yoshi_mi24)

ひとつ手に取った世界から、好奇心は枝分かれしていく。


 5月だ。

 GWが明けたその途端、梅雨入りしたかのような天候。一週間の天気予報には雨マークが連続している。


 B型事業所への通所と趣味に時間を費やす日々。鬱々する朝もある。希死念慮に襲われる夜もある。突如として空虚さを覚え、布団を被り寝逃げする昼もある。


 だけど楽しい時間を得られる瞬間があるから、小さな光から温もりを感じられる。それは風でキャンドルの炎が消されてしまわぬよう、両手をそっと添えたときに伝わってくる温もりに似ている。この明かりを絶やすものか、と今は強く抵抗している。


 周りからどんな風に見られようが、構わない。福祉作業所は今や私の大切な居場所だし、絵も刺繍も下手だろうがなんだろうが、「やってみたい」気持ちを守りたい。

 これまでが「やってみたい……と思ったところでそれに何の意味があるの?」と意味ばかりを求め、やろうとしてこなかったから。


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 将来への不安は絶えず、けれども好奇心は広がっていく。

 世の中にはいろんな人がたくさんいるのだ。刺繍で絵を描く人がいたり、着物をリメイクする人がいたり、伝統を受け継いでいる人がいたり、自己流の技でものづくりをする人がいたり……。

 見ているだけで、わくわくする。

 きっと「それに何の意味があるの?」と思っていたときの自分だって、ものづくりをする人たちを見てときめいていたはずなんだ。

 ただ、別の世界を生きている人たちみたいな眼差しで見ていただけで。自分には縁がないと卑屈になっていただけで。


 動けないときは動かなくていい。

 動けるときは動けばいい。


 シンプルな話だった。

 しかし、頭の中で常に糸が絡まっている状態のときには、シンプルな話もシンプルには受け止められない。疲労がのしかかる身体では、トイレに行くのもしんどいんだもの。

 流れやタイミングがあるんだと思う。

 人それぞれに、「あっ!今なら!」っていう絶妙なタイミングや出会いが。


 変化のない日常に安堵を得られ生活できているなら、無理くり変化させようとしなくていいと思う。ちょっとした刺激に動揺し、不安が増すのは恐怖でしかない。体調を崩してまで変わる必要はない気がしている。


 私も「気にしすぎ」と人から言われるような些細な出来事に、大袈裟なほど不安を抱く質だ。にもかかわらず、刺激を欲する性格でもある。

 どこかで「私なんか」を「私だって」に変化させたい気持ちがあった。

 もしもそんな気持ちがある人は、Hilcrhymeの「パラレル・ワールド」をぜひ聴いてみてほしい。



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 そもそも、同じくHilcrhymeの「Changes」という歌が私は大好きなんだ。

 タイトルからしてもう、そうだったんだ。


 もしかしたら、今も遠回りの最中なのかもしれない。だとしても、なんだかんだで好奇心が途切れない現在が楽しい。

 流れ、タイミング、出会いにありがとう。